下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)
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しばらく入っていると仄かに温かくなってくる。温泉成分があるから?

「おや?」と思って立ち止まる。そしてはじまる旅の迷路――。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界を歩き、食べ、見て、乗って悩む謎解き連載「旅をせんとや生まれけむ」。第7回は「台湾の温泉」について。

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 別府温泉を思い出していた。湧出量は別府のほうが多いだろう。温泉の種類もまったく違う。しかし共同浴場を出たところにあるベンチでまったりしているおじちゃんを見ると、ひと昔前の別府が蘇ってくる。

 いまも別府には共同浴場があるが、そのつくりが立派になってしまった。温泉宿に外観が似てきた。温泉だからそれでいいのだが、近くに住む人が、朝となく、夕となく、普段着でやってくる雰囲気が薄れてしまった気がしないでもない。以前は、よく見ないとそこが浴場であることがわからない一軒家のようなものが多か った。

 今年の7月。台北から列車で2時間半ほどの蘇澳にいた。台湾の東海岸。漁港である。戦前、そして日本が台湾から撤退してしばらくの間、ここに琉球町があった。空襲の被害が少なかった台湾から、米や砂糖、薬などがこの港から沖縄経由で日本に運ばれた。密輸だった。その基地が蘇澳の琉球町だった。この物資が戦後の闇市を支えたともいわれている。

 この街に温泉があった。街の人に訊くと、街のなかに3カ所の温泉があり、2カ所は無料だという。無料? よく聞くと共同浴場だった。台湾に温泉は多いが、共同浴場は少ない。

 教えられた温泉に行ってみた。住宅街のなかに、まるで一軒の家のような建物があった。「これこれ」とうなずきたくなる雰囲気だった。地元の人がふらっとやってくる施設。こいう温泉が台湾にもあったのだ。入り口には料金表が掲げてあった。蘇澳市民以外は70元、約259円と書かれている。しかし料金の徴収所がない。このゆるさもよかった。

 浴槽は地下にあった。イオウのにおいが漂ってくる。男湯と女湯に分かれていた。ということは、日本式に裸になって入ることができる。おじいさんがひとり入浴中だった。裸である。僕も服を脱ぎ、足を入れる。

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