最初に目をつけたのは後白河天皇だった。平安末期から鎌倉時代にかけての混乱の時代を、平清盛に取り入ったり背いたりしながらしたたかに生きぬき、源頼朝をもってして「日本一の大天狗」と言わせしめた治天の君。彼ならば清盛をうまく出しぬき、風穴を匿(かくま)うくらいのことはやってのけそうだ。「新しもの好き」「先駆的」「短気で直情的」等、専門家によって見解は分かれるものの、当世の社会通念を超えた自由な発想をもっていた節があるのも面白い。

 しかし、一つ問題があった。貴族の世から武士の世への過渡期にあったその頃、もしも後白河天皇が人ならぬ異能を宿した風穴を匿っていたならば、彼は間違いなくその力を戦に用いていたはずだ。その一点がどうしても条件と符合しない。いや、後白河天皇に限らず、血腥(ちなまぐさ)い騒動の多発した当世の男ならば誰しも風穴を戦勝や保身に利用していたことだろう。

 そこで、女に的を移した。というか、後白河院天皇の周辺にいるキャラの濃い女性たちに自然と目が向かった。たとえば、後白河天皇の寵姫にして高倉天皇の母である平滋子(建春門院)。仕えた女房の回顧録『たまきはる』にて「この世の類なく美しい」と褒めたたえられている滋子は、外見が麗しいだけでなく、ある意味ぶっとんでいた後白河天皇についていけるだけの度量を備えていたようだ。後白河天皇の父・鳥羽天皇の寵姫に当たる藤原得子(美福門院)の成りあがり人生も興味深い。が、片っ端から関連本をめくっていくうちに、その二人を遙かに凌駕する適任の人物が浮上した。

「風穴を守ってくれるのは、この人だ!」

 後白河天皇の異母妹に当たる八条院暲子。若くして仏門に入り、のちに女院となった彼女の名はあまり広くは知られていないものの、僅かながらも残された資料を探ってその像を追えば追うほどに、風穴の庇護者としてこれ以上の逸材はいないとの確信を私は深めていった。何故に八条院が適任だったのか――話せば長くなるため、そのあたりは小説をご覧いただけるとありがたい。

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