帰国してから知人のすすめで、アフリカで見聞きしたものを文章にすると、ジャーナリストとして賞を受けた。国際ジャーナリストという肩書で働くようになったが、次第に仕事が苦しくなり、恩師の急逝などをきっかけに「ガチこもり」となった。カーテンを締めても、光が揺らめくのを見ると、その外に人の行き来を感じ「世界の動きから自分だけが置いていかれている」と苦しくなる。電灯の光でも肌がピリピリと痛む気がして、雨戸を閉めてろうそくの明かりだけで生活した。風呂も1カ月は入らない。食事は深夜にスーパーで買いだめしたカップラーメンを1日1回食べる。そんな日が4年続いた。

 以前は家族で暮らしていた3LDKの団地に独りで住んでいたため、家賃は6万8千円。貯金も底をつき、ホームレスになる覚悟をして場所まで決めていたが、病院のケースワーカーの勧めで家賃の安い1Kの部屋に引っ越し、生活保護を受けることにした。

 いまも週に1回程度、当事者イベントなどで必要なときにしか外出しない。「子どもが部屋から出てこない」という親から相談を受け、同じひきこもり当事者として会いに行き、ドアの外から話しかけ話を聞くこともある。当事者の声を社会に伝える活動は、フランスやイタリアほか世界中のひきこもりにまで対象を広げ、多言語に翻訳した記事を発信している。室内にいながら世界とつながっているのだ。

「ずっと海外とやり取りをしていて、久しぶりに外に出て日本語の会話を聞くと『帰ってきた』と感じることもあります(笑)。室内留学ですね。私の場合は、ひきこもりを極めることが逆に社会参加になっている。賃金労働ではないし、社会に認められる働きではないかもしれませんが、これも働いているうちなのでは?という感覚はあります」

 それでも無職、ひきこもり、生活保護という表面的なことだけで自分のすべてを判断されることが多いという。「あなた何してる人?」と人に聞かれるのではないか、後ろ指をさされていないか。特に近所の年配女性は自分の母親とダブって体が硬直するほど怖い。体調が良いときに飲みに行くと、名前も職業も偽る。一歩外に出ると非合法活動をしているような気分だという。

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息子を殺害した元事務次官の父に聞きたいこと