グダグダな舞台挨拶の翌日は、完全なオフ。
宣伝プロデューサーである真鍋さんは、朝になってもまだ怒りがおさまらないようですが、まあ、それはそれ。かねてからの予定通り、この日は有志でミラノに観光に行こうということになっていました。
メンバーは、今石夫妻、大塚さん、真鍋さん、ゆんぴょう(武田康廣プロデューサーの秘書。この名前で『グレンラガン』のラジオ番組にも出演しています。グレンラガンファンにはおなじみの女性ですね)、それに僕ら夫婦の計7名。朝食をすませてホテルのロビーに集まります。
僕らが泊まっているのは、映画祭が開かれているロカルノから車で10分ほどの隣町で、湖のほとりにあるアスコナです。が、ホテルはアスコナの中心部から少し離れた山の上に建つ長期滞在型のもの。ホテルというよりサナトリウムという雰囲気の施設でした。
ロカルノ国際映画祭に来た関係者と観光客で、すでにロカルノ近辺のホテルは満杯。しかもガイナックス一行は10名を越える大所帯だったので、一カ所で泊まるにはここしかなかったようです。
しかも、このホテル、雰囲気や景色はいいのですが、いかんせん不便なのです。
長期滞在型なのでロビーにはレストランもない。山の上なので、買い物しようにも下まで降りていかなければならない。階段で10分ほど下ればアスコナの町があるのですが、逆にこの階段を10分登るのは相当きつい。行きはよいよい帰りは怖い、というパターンです。
映画祭専用のシャトルバスがホテルの近くまで来ていて、これが唯一の交通手段。 始発は8時15分だそうで、ロカルノ駅を9時過ぎに出発する電車に乗ろうと思っていたので、時間通りに来れば間に合います。
スイス人は時間もきっちりしているらしいのですが、このロカルノはイタリア語圏。リストランテの食事もパスタやピザが中心。住民の気質もラテン系な感じで、スイスというよりもイタリアにいる気がして仕方ない。
果たしてバスが時間通りに来るのか不安だったのですが、予感的中。30分待ってもバスが来る気配はない。
たまたま出勤しようとしていたタクシーが通りかかり、拝み倒して乗り込んで4人が先に移動。そのあと別のタクシーを呼んでもらって、後続の人間達も15分ほど遅れてロカルノ駅に到着。なんとか全員が駅に揃ったのは、9時半近くでした。結局乗ろうと思っていた9時過ぎのミラノ行きには間に合いませんでした。
この電車は急行で、2時間ほどで着く予定だったのですが、一つ遅い10時台の電車は各駅停車。しかも2回乗り換えなきゃいけない。かれこれ3時間近くかかってしまいます。
でもまあ、これも経験。なかなか予定通りにいかないのが海外の旅だと思い直して電車に乗り込みました。
スイスの電車はとても綺麗です。対面式4人掛けのボックス席のシートも窓もピカピカ。車内には電光掲示板があり行き先と次の停車駅を案内してくれる。各駅停車の列車でも、ロマンスカーなど日本でいう特急列車のような雰囲気で、非常に快適です。湖沿いに走る景色も美しく、思わず石丸謙二郎(いしまる けんじろう)のナレーションが聞こえてきそうな気分になります。
と、そこにアニプレックスのTさんから電話が入りました。『グレンラガン』のプロデューサーで、DVDの担当です。彼も映画祭に来ていたのですが、この出張が決まったのがギリギリだったので、ルガーノという町でしかホテルが取れなかったのです。 この日は一緒にミラノ観光しようと約束していたのですが、彼のホテルがあるルガーノは、ロカルノから電車で40分ほどイタリアの方面に向かった町。つまりミラノには彼の方が近い。ホテルも駅からすぐらしく、本来我々が乗るはずだった列車の一本前の急行に乗れたので、「もうすぐミラノなんですが、みなさんは何時頃つきますか」という連絡でした。
「あー、ごめん。僕ら一本乗り遅れたんで、あと3時間かかりますわ」というと、電話の向こうでTさん、ちょっと当惑した風。実は彼は本格的な海外旅行は初めて。それが一人でいきなり異国の町に放り出されるのですから、心細いことこの上ないのは確かでしょう。
「わかりました。ミラノ駅で時間潰してます」と気丈に言うTさん。
みんなに事情を説明すると、「えー、Tさん、ミラノ駅で3時間も待つの」などと最初は同情してたものの、すぐに「まるで忠犬T公だね」とか言い出すからひどいものです。まあ、言ったのは僕なのですが。
そんなこんなで、なんとか2回目の乗り換え。いきなり列車が汚くなりました。どうやらイタリアの鉄道になったようです。
町並みも、ある駅を越えた瞬間、なんとなくすさんだ雰囲気に変わりました。
「今、イタリアに入ったよね」
思わず家内に声をかけます。
面白いもので、国境を越えた瞬間、ガラリと外の景色が変わったのです。
スイスはEUには加盟していないのですが、国境でのパスポート確認などの手続きはありません。スムースにイタリアに入れるので国境を越える瞬間などわからないと思っていたのですが、そんなことはない。駅の佇まい、町並みや風景など、明らかに二国には違いがありました。
「なんでこんなに違うんでしょうね」などと、前に座っていた今石夫妻と話をしていると、突然、赤ん坊を抱いた女性が紙コップを持って現れました。
小銭をくれという物乞いです。
以前、イタリア旅行した時も街中で何度か出くわしたのですが、まさか列車に乗り込んでいたとは。しかも、国境を越えた途端に現れるとは。驚きました。
国境障壁を取り除いたヨーロッパならではの体験、しかも観光バスで移動するパックツアーでは味わえない貴重な体験でした。
ミラノで待ちくたびれていたTさんと合流し、めざすは大聖堂ドゥオーモ。
その姿を見ると、ガイナックスの面々の目の色が変わりました。
さすがは絵を描くこと、映像を作ることを生業としている面々。大聖堂のビジュアルに圧倒されたようです。
内装外装を問わず、精巧に作り上げられた装飾が一面に広がっています。
どこを見ても美しい。よくもまあこれだけでかくて、しかも細工の細かい物を、これだけの数作ったものだと思います。
3年前に、イタリア旅行で訪れた時にも感動したのですが、あれからそれほど時間をおかずにまた来られるとは。これも『グレンラガン』という作品のおかげです。
この大聖堂、中の作りも素晴らしいのですが、一番の特徴は、屋根の上に登れるところにあります。
ミラノの街を見下ろす景色もいいし、外装の柱の一本一本に刻まれた彫刻などが間近に見られるのです。
この日は天気にも恵まれ、屋根の上まで登って寝転がると真っ青な空。
日差しは強いが、空気が乾いているので、風があれば気持ちがいい。背中に当たる大理石の冷たさも心地よく、ああ、このままここで昼寝していたいなという気分でした。
ですが、帰りの電車の時間も迫っている。
東京ディズニーランドのワールドバザールのモデルとなった、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアという、19世紀に作られたアーケードを駆け足で覗いて、ミラノ駅に向かいました。
(そういえば、以前来た時には、ここにミッキーマウスの偽物がいてフラフラ歩いていました。素人の手作りの着ぐるみだったようです。「ガッレリアが、ほんとにワールドバザールになっちゃったよ」とガッカリしたのですが、今回はさすがにそんなことはありませんでした)
慌ただしいミラノ行きでしたが、目的の大聖堂だけはたっぷり満喫してきました。