週刊朝日ムック「家族ではじめる本格漢方2019」から
週刊朝日ムック「家族ではじめる本格漢方2019」から

 中国で2千年以上前に生まれた漢方は、いつごろ、どのようにして、日本で独自の発展をとげたのでしょうか。江戸時代に大きく発展した「日本漢方」は、一時衰退しますが、その後、復興を果たします。週刊朝日ムック「家族ではじめる本格漢方2019」では、北里大学東洋医学総合研究所医史学研究部の小曽戸洋客員教授に解説してもらいました。

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 中国漢方の起源は、紀元前1300年以上前。その後、中国文化が栄えた漢時代(紀元前206~紀元220年)に、漢方の三大古典といわれる『黄帝内経(こうていだいけい)』『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』『傷寒論(しょうかんろん)』が成立します。

 日本に中国の医学書が伝来したのは、5~6世紀ごろといわれています。仏教と同時に朝鮮半島を経由して、伝来しました。古墳時代の5世紀には、天皇の病気を治すために新羅(朝鮮半島にあった国家)から韓医学の医師である韓方医が招かれたという記述が残っています。その後、遣隋使や遣唐使によって、中国と直接の行き来が始まり、当時の中国で最先端であった医学知識や医学書がもたらされたのです。

 北里大学東洋医学総合研究所医史学研究部の小曽戸洋客員教授は、こう話します。

「医学知識や書物は持ち帰ることができても、治療の手段となる生薬は、少量しか持ち帰ることができません。漢方治療を受けられるのは、身分の高いごく一部の日本人だけだったと考えられます」

 平安時代(984年)には、現存する日本最古の医学書『医心方(いしんほう)』が編纂(へんさん)されます。

「中国の医学書を基盤としつつ、当時の日本人にはなじまない食品や治療法についての記述は省いたり、生薬数が少ない処方を選んだり、独自に簡略化、実用化していることがわかります」(小曽戸客員教授)

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