2019年シーズンも開幕まで約1カ月となり、今季の展望に思いを巡らせる今日この頃だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に数々の伝説を残したプロ野球OBにまつわる“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「闘将・星野仙一の武勇伝編」だ。
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闘将・星野仙一監督の数ある武勇伝の中で、“平手打ち事件”とも言うべき騒動が勃発したのは、1990年5月24日の巨人戦(ナゴヤ)。
3回2死三塁、槙原寛己の初球がバンスローの喉元付近に食い込んだのが事件のきっかけだった。
前日も斎藤雅樹に厳しい内角攻めをされたバンスローは「昨日に続いて2度目だぞ!」と指を2本立てて槙原をにらみつけた。
ここで星野監督がベンチを飛び出し、口角泡を飛ばして友寄正人球審に抗議した。それでも、言いたいことを言えば、矛を収めて引き揚げるはずだった。
ところが、三塁側ベンチから松原誠コーチが「何を言ってるんだ、星野。いい加減にしろ!」とヤジを飛ばしたことから、一転、大乱闘劇が幕を開ける。
「何だ、この野郎!」と逆上した星野監督は、松原コーチ目がけて突進。両軍ナインも三塁ベンチ前で、激しいもみ合いになった。水野雄仁が止めに入ろうとして前に立ちふさがると、「お前、邪魔だ!」とばかりに星野監督の平手打ちが右頬にさく裂。勢い余って水野の帽子が宙を舞った。
「ウチのヤジがきっかけだったんで申し訳ない」。藤田元司監督が謝って事態を収拾しようとした直後、今度は「選手が殴られては困る」と止めに入った江藤省三コーチの顔面にディステファーノが強烈なパンチをお見舞い。鼻の下から出血した江藤コーチは「50のおっさんを殴って何がうれしい?」と怒りをあらわにした。
暴力行為でディステファーノに退場が宣告されると、星野監督は、挑発した松原コーチがお咎めなしだったことを「不公平じゃないか」と抗議したが、福井宏責任審判は「聞こえなかったので、退場に値しないと判断した」とつっぱねた。