「最初のチャレンジは1983年の『CAT’S EYE』です。アニメの主題歌というのは、それまでの私のキャリアにも、ヴィジョンにもない企画でした。私、アニメを見たことすらほとんどなかったんです。だから、最初はとまどいました。でも、楽曲のよさに魅かれて、歌うと決めたのです。今思うと、自分のイメージしていない試みが怖かったんだと思います」

 ところが、「CAT’S EYE」はオリコンチャート5週間連続1位の大ヒット曲となり、この曲を収録したアルバム『Timely!!』も1位に。その後、シングル「悲しみがとまらない I CAN’T STOP THE LONELINESS」「気ままにREFLECTION」もヒットする。

「あのとき『CAT’S EYE』をレコーディングして、ほんとうによかった。ずっと歌い続けてきて、今もたくさんのリスナーのかたがたに愛されている楽曲になりました。作品の力をいまなお感じています」

 杏里の次のチャレンジはセルフプロデュース。1987年の『SUMMER FAREWELLS』から自分でプロデュースを手掛ける。この時期から、杏里は2度目のキャリアハイを迎える。『CIRCUIT of RAINBOW』『MIND CRUSIN’』とアルバムが立て続けにオリコン1位に。

 デビューアルバム『杏里 -apricot jam-』をロサンゼルスでレコーディングもしていて、杏里にはアメリカ西海岸のイメージがある。さらに、セルフプロデュースを始めたころからは西海岸の腕利きミュージシャンを積極的に起用するようになり、そのイメージは濃くなっていく。

「プロデューサーとして影響を受けたのは、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオン、シカゴなどを手掛けたデイヴィッド・フォスターや、『黄昏』や『恋におちて』など数々の映画音楽で知られるデイヴ・グルーシンなど、LAを拠点に活躍している巨匠たち。そういったことも、私の音楽に西海岸の風を吹かせているのでしょう」

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