ランニングの間に、コーチらと話すソフトバンク・和田(写真提供・喜瀬雅則)
ランニングの間に、コーチらと話すソフトバンク・和田(写真提供・喜瀬雅則)
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 もう、俺はダメかもしれない。

 いや、きっと、あのマウンドに戻ってみせる。

 ケガで、第一線を離れる。リハビリの間、その心は揺れ動き、迷いが生じる。この葛藤に打ち勝った者だけが、あの晴れやかな、華々しいステージへと、再び駆け上がることができるのだ。

「長かったんでね、去年は……。シーズン中も『こういう波』でしたから。でも、このキャンプ中はそれがなく、今、上がりっぱなしとは言わないですけど、上がりながらやれていますね」

 和田毅、37歳。

 ソフトバンクのベテラン左腕は、左手を上下に動かしながら“浮き沈み”の昨季を表現してくれた。良くなったり、悪くなったり……の繰り返しだった左肩の状態は「ちゃんとしたところに、肩がはまっていないような感じで、グラグラしていた」という。

 しっくりこない。投げるのが怖い。投げたら、また痛みが出る。その悪循環のまま、1軍では1度も登板がなく、和田の2018年は終わってしまった。

「肩を痛めたのが、自分では初めてだったんです。大丈夫だろう、そう思っても、大丈夫じゃなかったんです。肩と肘では、やっぱり違いますね。ごまかしが利かないといったら、おかしい言い方かもしれないですけど、肘はこの(上下の)動きだけじゃないですか? でも、肩はいろんな部分に動くし、いろんな筋肉に合わさっているでしょ? だからあっち(の部分)が張ったり、こっちが張ったり……。ある意味、初めてだったんです」

 左肘は2007年、12年、17年と3度の手術歴がある。それらの困難を、和田は自力で乗り越え、さらに大きく成長してマウンドに戻ってきた。08年から11年までの4年間で45勝。10年は17勝で最多勝とパ・リーグMVP、11年には16勝を挙げてソフトバンクの日本一に貢献すると、そのオフ、FA権を行使してメジャー移籍を果たした。

 オリオールズでの12年には、左肘側副靱帯再建術(トミー・ジョン手術)を受けながら、14年からの2年間にカブスで5勝。2014年には、日米野球のメジャー選抜チームの一員に選出され“凱旋”。ソフトバンク復帰後の17年にも、シーズン中に3度目の左肘手術を受けながら、8月に復帰。楽天とのクライマックスシリーズ、DeNAとの日本シリーズでも先発マウンドに立った。

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投げれば投げるほど、悪くなる感じで…