実は、心理学にも転移という概念があり、過去のある人との関係で習得した相手とのかかわり方や意識の使い方、目の前の別の相手がその過去のある人であるかのように感じて行動することを言います。人は言葉だけでなく、言葉と切り離せない意識の使い方やコミュニケーションのパターンも乳児のころから親との関係で学びます。こういう状況ではどう感じるのか、感じたことのうち何を伝え何を伝えないのか、どういう表現で伝えるのか、なども言ってみれば対応パターンです。
そして、新しい言語と同じように、新しい家族(配偶者)と出会ったときに、自分が育った時の対応パターンが通用しない場面で問題が起こります。冒頭の久美子さん、豊さん夫婦もそうです。
久美子さんにとっては子どものころそうだったように、自分が泣いていたら、家族である豊さんは「どうしたの」と声をかけてくれるはずだし、熱を出していたら、よほど重要な接待とかでない限り、飲み会を断って帰ってきてくれるはずなのです。そういうファンタジーが転移です。
ところが、久美子さんにとっては「第2言語」となる豊さんのシステムでは、泣いていても、病気でも放っておくのが正解なのです。ドイツ人が日本語を学ぶのはハードルが高いように、久美子さんが豊さんのメンタリティを理解するのはなかなか厄介そうです。
それでも、考える時間のある英作文なら私も確実に疑問文を作れるのと同じように、久美子さんも考える時間があれば豊さんの言語で理解できるかもしれません。しかし、実際のコミュニケーションはほとんどの場合、英会話のようにほぼ反射的にしなければならないので、私が会話で疑問文を作りそこねるのと同じように、反射的に豊さんの言語で理解して反応するのは相当に習熟が必要なことです。
逆はもっとそうです。「関わられること=傷つけられること」という学習をした結果、ほっておくのが正解の豊さんが、自分にとって「第2言語」である優しく声をかける久美子さんのシステムを頭で理解することはどうにかできるかも知れませんが、一瞬で「どうしたの?」と反応するところまで習熟するのは至難の業です。豊さんにとっては到底「普通」のことではないからです。