ところがこの人、こと役者を演出すること、芝居を観る眼、は、ちょっと異常なくらい発達している。もう、ほとんど超人レベルだと僕は思っている。
また、別の旧知の演出家は、繊細な神経も持ち合わせてるのに、こと「人に批判されること」に関しては、まるで気にせず、気にせずどころか、悦びに変えている節があり、こう書くと少し変態みたいだが、多分変態なのだろう。批判を自身の力の源にしているというか、むしろ燃料にしている感じ。先日、このことに関してその人と話したが、「おそらく、批判を気にする神経が切れている。あるいはその神経そのものが無い」という結論(?)に至った。
かといって、その人が「図太い」かというと、そうでもない。他の人が見ないところを見て、他の人が気にも留めないようなことを気にして、他の人が考えもしないことを考え込む。
つくづく、人は一概に「○○な人」と色分けは出来ないな、と思う。「繊細な人」といっても、あるところには凄く繊細で、あるところでは全くズボラだったりする。「物知りな人」と一概にいっても、あるところには凄く知識が深く、あるところでは全く物を知らないということもある。
わたた。自分が無知であることの言い訳みたいな結論になっちゃった。繰り返すが勿論、無知は恥ずべきことだ。改善するよう努めます。これホントに。ただまあ、色んな人がいるし、色んな人がいていいし、色んな人がいる方がなんつーか、愉しいよね、てな感じでどうかひとつ。さ、今夜の晩酌は、アヒージョにするかね。(文/佐藤二朗)