「父親は、10年近く日本にいたので、日本語もうまく、奇妙な大阪弁でよく周囲を笑わせていた。語学学校で『ぼちぼちでんな』と話すなどオモロい先生で人気だった。母も大阪のおばちゃんのような感じで、飲みに行ったら横のテーブルのひとと親しくなり、朝まで飲み明かすというフレンドリーな人。テニスは父がウィリアムズ姉妹に感銘を受け、教え始めた」

 一家は市内の小さなマンションに住み、靱公園のテニス場に自転車で通い、テニス場が一杯の時は、公園の空スペースで練習していたという。

「レオナルドさんは、スパルタ的な教え方ではなく、楽しむように、『なおみ、ナイスやんか』とか、日本語と英語でちゃんぽんで教えていました。その光景がテニス場の周囲の人にうけた。ハーフのかわいい姉妹がお父さんと練習していると評判になり、アイドル的な感じになっていた。ジュースやおにぎりの差し入れとかたくさんあった」(前出の元同僚)

 自宅マンションでも、父親は姉妹にオモチャのラケットを与え、練習させていたという。

「リビングとベッドルームとドアを全部あけて広いスペースをつくり、そこで姉妹2人に試合させていた。当時はもちろん姉が勝ったので、なおみちゃんはふくれて、『もういやや』と言って、泣くこともありました。しかし、しばらくしたらまた、おねえちゃんと試合するとラケット持っていた。父はボール投げて、姉妹にレシーブさせたり、壁にサーブ打たせたりして、家の中はいつも、散らかっていましたが、楽しそうでした」(前出の元同僚)

 当時の大坂家にはウイリアムズ姉妹のポスターが貼ってあったという。

(AERAdot.編集部・福井しほ)

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