しかし、そもそもサイエンスコミュニケーションとは何だろうか。その疑問は、客前に立つようになってからますます深まった。

「まずは、自分なりのサイエンスコミュニケーションを追求する必要があると感じました」

 国内におけるサイエンスコミュニケーションの端緒は、1990年代半ばに国が打ち出した「科学技術創造立国」政策にある。2006年に策定された第3期科学技術基本計画では、「科学技術の成果の社会への還元」が重視され、研究成果のアウトリーチと市民理解を促す「科学技術コミュニケーター」養成の必要性が明記された。これを受け、日本科学未来館では09年からオンザジョブによる養成事業を開始。21年度末までに、160人の科学コミュニケーターを輩出している。

 日本科学未来館初代館長で、科学コミュニケーターの育成に尽力してきた毛利衛は、「サイエンスコミュニケーションの必要性を痛感したのが、東日本大震災のときだ」と語る。

「震災後、市民の間に放射能汚染の不安が広がる中で、未来館では親子向けに放射線に関するワークショップを開きました。そこで簡易測定器を使いながら、放射線は自然にあることなどを数値を見せて説明しましたが、幼い子を連れた母親たちは『本当に安全なのか?』と信じられない様子でした。そのとき、専門家が一方的にエビデンスを示すだけでは、信頼に足るコミュニケーションは成立しないと痛感したのです」

 これからの社会では、研究者だけでなく市民の目線に立って科学の話ができる人材が必要になる。その意識の下、本田は一心不乱に科学コミュニケーターとしての訓練を積んでいく。

(文中敬称略)(文・澤田憲)

※記事の続きは「AERA 2022年5月30日号」でご覧いただけます。