――その気持ちを親に話すことはできましたか?

 母にはそれとなく話していたのですが、私には妹が2人いて、母と2人きりになれる時間がなかなか取れなかったんです。でも限界がきて……、妹の前では話しづらかったので、母を部屋に呼び出して、「転校したい」と涙ながらに訴えました。母は「あなたは悪くないよ。心配しなくて大丈夫」と寄り添ってくれました。

――学校に完全に行かなくなって、どんな気持ちで毎日を過ごしていましたか?

 妹たちは学校に通っているのに、自分だけ家にいることに、罪悪感や劣等感を強く感じていました。ちょうどコロナ禍で、妹が「つまんない、早く学校行きたい」と言う一方、私は堂々と行かなくていいことに、どこかほっとしていて。「ちゃんと姉でいなきゃ」と思えば思うほど、何もできない自分がみじめでしかたなかったです。

制服を着て“学校に通う自分”を演じた日々

――コロナ休校が終わり、中学2年生からフリースクールに通われたそうですが、そこでの生活はどうでしたか?

 週4〜5日、ほぼ毎日通っていました。スクール自体は楽しかったのですが、平日の昼間に私服で電車に乗ることに抵抗があって、チェック柄のスカートにリボンをつけた“なんちゃって制服”で通っていました。フリースクールという形でも、「学校に通っている自分」でいたいという気持ちがあったのだと思います。

――フリースクールには中学卒業まで通ったのですか? その後の進路は?

 実は、中3になってから進学を意識するようになり、在籍していた地元の中学校に戻ったんです。はじめは全日制高校に行きたいと思っていたのですが、内申点の関係で現実的に難しくて。最終的に、通っていたフリースクールと提携している通信制高校に進学しました。通信といっても制服があり、週5日通学するスタイルだったので、普通の高校生活とほとんど変わりませんでした。

――高校生活では、人間関係で悩むことはなかったですか?

 大きく悩むことはありませんでしたが、中学で何もできなかった分、生徒会やボランティアなど、挑戦したいという気持ちが強くて。周りよりも前のめりだったせいか、「真面目すぎ」「なんでそんなに頑張るの?」といった反応を受けることもあり、熱量の違いにモヤモヤしたことはありました。

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