『子どもが本当に思っていること』(日本実業出版社)の著者で、精神科医のさわ先生。発達障害で不登校の経験もある中学生の長女と、小学生の次女のお母さんでもあります。自身が過干渉な母親との関係でつらい思いをしたのに、その母とおなじことを長女にしてしまい、「母ってなんだろう」と自問自答したそう。子育て・教育情報誌「AERAwithKids 2025年夏号」(朝日新聞出版)で花まる学習会代表 高濱正伸先生がホストになって対談を行う連載「もっと花まるTALK」から紹介します。※前編<「悪夢の始まり」は全国模試1位 児童精神科医のさわ先生も悩んだ、教育熱心な親との「共依存」>から続く

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35歳になって、遅い思春期がやっとめぐってきた
子どもも親自身も、不完全な存在として丸ごと認める 子どもの様子をちゃんと見て、希望を聞いて、認めてあげる

35歳になって、遅い思春期がやっとめぐってきた

さわ: 0歳と2歳の子どもを抱えて離婚して、しばらくしてから今のクリニックを開業したときは、大反対されました。そのころ、長女が不登校の真っ最中だったので、いつもはあまり口を出さない父からも、仕事より子どもが第一だろうと強く言われました。でも私は開業をやめようとは思わなかった。あのとき初めて親に反抗したんです。35歳になっていましたが……遅いですよね。

高濱:ご両親は驚いたでしょうね。ずっと「いい子」でいたのに。何がさわ先生を動かしたんだろう。

さわ:勤務医として経験を積むうちに、精神科医が私の天職と思えるようになったのが大きかったですね。それこそ主体的に。両親には、泣きながら「精神科医としてのアイデンティティーを奪われたら私は生きていけない」と宣言して、開業時は経済的援助も受けませんでした。あのとき、精神的にも経済的にもやっと独立できたんです。

高濱:いやー良かった。遅い思春期がやっとめぐってきたんですね。

さわ:本当ですね。思春期には全然反抗しませんでしたから……今でも時々思います。もっと早くから自分の人生を、主体性を持って歩むことができたら私の人生はどうなっていたのだろうと。

高濱:これまでの生きざまがあったからこそ今に至ることができたわけですからね、唯一無二の人生ですよ。

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篠原麻子
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