たとえ不登校の生活に慣れてきても、いつまでその状態が続くのか、進路はどうするのか、親は心配になるものです。神奈川県藤沢市で子どもが自分らしくいられる場所づくりをするNPO法人優タウン代表の小沼陽子さんが、自身の退職や息子さんの変化について伝えます。※第2回〈「命にかえても守りたいのは息子」不登校児の母親が振り返る“夫への罪悪感”と決意とは【体験記】〉から続く
【マンガ】不登校、親から見た世界、子どもから見た世界の違いは?(全31枚)NPO法人優タウン代表の小沼陽子と申します。前回の記事では、私にとって当時小学生だった息子の不登校は、「学校へ行く/行かない」の問題ではなく、子どもの命を守らなくてはならないという現実に直面していたと書きました。理解者が周りにおらず、私にとってはそのころがもっとも孤独でつらい時期でした。しかし、息子が中学生にあがるころ、息子は少しずつ変化を始めます。今となっては自分のペースで大学生の道を進んでいる息子ですが、わが家にも希望の光が見えてきたのが中学生の時期でした。今から約7年前のことです。
20年勤めた会社を退職
不登校である息子の姿は、私自身に「本当にこの生き方でいいのか」を突きつけていた。
「私にとって一番大切なことは何か?」
「今、私は何に時間を使うべきか?」
「今後のキャリアはどうしたいか?」
息子が不登校になり、私は毎日そんなことを考えていた。
「私にとって命にかえてでも守りたい大切なものは子ども」
「私はもっと子どもたちと一緒に過ごしたい」
「うちの子どものように、レールから外れた子どもたちがもっと生きやすい社会にしたい」
私はそんな思いがとめられなくなっていった。そして、20年勤めた会社を辞める決断した。辞める不安はたくさんあったし、周りからの反対も多かった。
でも一度しかない人生、私は私のやりたいことに時間を使いたい。息子は自分の人生を自分の意思で生きている。私も自分の人生は自分で決める。そんな気持ちだった。
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