もし妻が生きていたら、ぼくは何も考えずに寝続けられたかもしれない。でも現実には、どんなに疲れていてもごはんを作るのも、公園に連れて行くのも自分しかいない。
もちろん、夫婦そろっていてもいろんな事情で「自分しかいない!」ってがんばっている人も多いと思いますから、シングルファーザーだけの大変さではないんですが……。

――妻の奈緒さんが亡くなられた2年後に、清水さんは16年勤務していた読売テレビを退社しています。それは、息子さんとの時間をつくるためだったのですか?
一番大きなきっかけは、妻が亡くなってからの2年間で体重が20キロも減って、息子を抱っこした瞬間にフラついてしまったことです。
こんな姿でがんばっても、妻も息子も喜ばないだろうって思ったんです。
近くにぼくの母親が住んでいたし、助けてくれる姉もいました。甘えすぎるほど甘えていたとは思うんですが、ぼく自身は「甘えちゃいけない。きちんとやらなくては」って張りつめていました。
今思えば、初めての子育てだし、一人で子育てするのも、仕事との両立も初めて。できないことだらけ、わからないことだらけです。
でもぼくは「できない」と認めることも、「助けて」ということもできなくて、キャスターとしての責任、父親としての責任に押しつぶされそうになっていました。
それで「何かひとつ、自分の中で区切りをつけなくちゃ」って考えて、選んだのが会社を辞めることでした。
――たとえば別の部署に移るなどの選択はなかったんですか?
会社側は本当に理解があって、子育てと会社員を両立できるよう、さまざまな提案をしてくださったんです。
でもぼくは、甘えることが怖かったし、誰かに頼る自分が情けなかった。周囲に「助けて」という勇気を持てなかったのだと思います。
それでも会社を辞めたことで広がった世界はたくさんあります。自分のこの決断を後悔することはあっても、まちがいにはしないつもりです。
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