だからこそ私は学校という場所の大切さを改めて感じています。それは学業成績とか、受験のためというものではなく、さまざまな文化的・社会的な課題に取り組み機会にさらされ、先生や友だちとのコミュニケーションの中で過ごすことで、無意識のうちに遺伝的要素が反応していて、自分の中の得意な部分が、自分でも少しずつわかってくる。

 もちろん習い事は、学校教育だけでは得られない多様な機会に触れることができますから、とても貴重な経験だと思います。ただ、遺伝的な要素に反応するものというのは、あくまで文化的に豊かで、本質的なもの。つまりホンモノの文化であることが大事だと思います。芸術やスポーツなどにはそういうものがあります。受験テクニックやメソッド系の教室などの活動は、遺伝的な素質を伸ばすのではなく、あくまで平準化した教育プログラムに対応するものだというイメージを持っていただくといいかと思います。

先が見える気がするかどうか

――遺伝的素質に合った教育環境を選ぶにはどうすればよいでしょうか。

 行動遺伝学的な視点から見ると、子どもは生物学的に自分の遺伝的素質を発現しながら、自律的に生きていこうとしますから、それにゆだねてしまえばいいのではというのが本音です。

 親があれやこれやと一生懸命になったところで、少数の例外を除き、共有環境の影響はほとんどなく、あったとしても数パーセント。遺伝の影響や、非共有環境の影響と比べると圧倒的に小さいのです。

 ただ、だからといって無視してもいいということではありませんし、親としては、「何が合うのだろう」と気になるところでしょう。それに対してお答えするとしたら、やはり本人の「好き」を大事にするということでしょうか。そして、その「好き」の中に、それがいっときの感覚的なものだけでなく、「先が見える気がするかどうか」というところが重要ではないかと考えています。言い換えれば「受動的な好き」だけでなく「能動的な好き」です。

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