――芸人を目指した時、ご両親に反対されませんでしたか。

 中学生の頃にタカアンドトシさんにハマって、高校入学後、よしもとに入りたいな、とこっそり調べ始めました。親に伝えたのは高校三年生の進路相談の日の朝。父親が出勤する直前、玄関の外に半分からだが出ているような状態で、「お父さん、今日の進路相談で『芸人になる』って言うから! じゃあ、いってらっしゃい」って伝えて、父に反対する隙を与えませんでした。

 母親は「いいじゃん、いいじゃん」とノリノリでしたが、父も意外に応援してくれました。実は父は教師になる前、小説家になりたいという夢があったので、娘にはやりたいことをやらせてやろうと思ったのかもしれません。結局、「三年間頑張って結果が出なかったら諦める」という約束で送り出してもらえました。

「こういう自分になりたい」に向かって努力するのが好き

――その後、単身上京してNSCに入り、卒業後わずか半年で「笑っていいとも」に出演。三年以内にレギュラー番組も始まりました。「三年」というご両親との約束もきっちり果たして、すごいですね。

 頑張れたのは、母譲りの「もったいない精神」があったからかもしれません。NSCに入ってすぐ、ネタ見せをする時間があったのですが、私はもう持ちネタがある人だけが参加するのだと思っていて、様子だけ見ていたんです。でも、ほかの人たちは、形になってないネタでもとにかくチャレンジしてたんですよ。それを見て「40万円も払って、私は何のために行ってるんだろう」「ちゃんとやって授業料を取り返さなきゃ」って、そこからは皆勤賞でネタ見せに参加するようになりました。

 最初にやったネタは、実家から持ってきた、父の使っていた教科書を小道具にした国語の先生のネタ。「いいとも」に初めて出た時は音楽の先生ネタでした。教師の家庭に育ったことが役立ちました。

 週3回、番組内容を決めるためのネタ見せがあったのですが、ある日、友だちから「今日もあの料理教室の先生のネタやるの?」って言われて……。毎回同じネタばかりと思われたのがすごく悔しくって。そこから週3回、全部ちがうネタをやるようになりました。いつも「こういう自分になりたい」「こういうふうに褒められたい」っていうイメージがあって、そこに向かって努力するのが好きなんです。

次のページへ夢を叶える原動力は?
1 2 3