岸谷蘭丸さんは、イタリアの名門・ボッコーニ大学に在籍する現役大学生であると同時に、高校から海外留学した自らの経験を生かして海外留学支援サービス「MMBH留学」を立ち上げた実業家でもあります。もともと「柚木蘭丸」の名前で、政治経済や国際問題、LGBTQなど、さまざまな話題に関する幅広い知識と歯に衣着せぬ物言いがSNSで人気を集めていましたが、2024年12月に両親が俳優の岸谷五朗さんと元プリンセス プリンセスの岸谷香さんであると公表し話題になりました。病気も経験した幼少期の話や小学校受験での挫折、ご両親とのエピソードなどを聞きました。※後編<話題の実業家・岸谷蘭丸、早実を飛び出し高校からアメリカへ 「覚悟が決まった」母・岸谷香の言葉とは?>へ続く

MENU トーク力が僕の生命線 幼稚園時代に病気を経験 「負け」を知った小学校受験、キャパの上限を押し上げた中学受験 子ども時代の読書経験は親からの最高のギフト 親父には当分勝てない

トーク力が僕の生命線

――「蘭丸」という名前には、何か意味が込められているのでしょうか?

 特に意味はないらしいんですよね。もともと最後に「丸」が付く名前にしたくて、音の響きが一番良かった「蘭丸」にした、という話は聞いたことがあります。両親で考えたとは思いますが、ほぼ母主導だったんじゃないでしょうか。親父は「蘭丸」という名前を選ばない気がします。

幼少期の岸谷さん(提供)

――小さい頃はどのようなお子さんでしたか?

 明るくてひょうきんで、輪の中心にいるのが好きな子でした。体を張って笑いを取る子、スポーツ万能な子など、人気者にもいろいろなタイプがあると思いますが、僕はトーク力で人気を集めるタイプ(笑)。昔から、トーク力は僕の生命線でした。

幼稚園時代に病気を経験

――幼少期には、病気で入退院を繰り返した時期があるとお聞きしました。

 4歳か5歳のころ、体調を崩す日があまりにも多いので病院に行ったら、小児リウマチという病気だとわかりました。幼稚園は半分近く欠席だったと思います。でも両親は病気だからと何かを制限するわけではなく、スイミング、スキー、テニスなどのスポーツもやらせてくれましたし、ピアノ、英会話など習い事もたくさんしていました。

 習い事の送迎は、すべて母の担当でした。母は毎日のお弁当から子育て、仕事まで、いろいろなことを同時進行でできる人。シンプルに能力が高い気がします。そもそもあれだけステージに立っている人ですから、体力もあるんです。

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木下昌子
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