――どんなことが大変でしたか?

 友だちと過ごすのはとても楽しかったのです。でも規則が厳しく、勉強する時間帯も、勉強する時間も「4時間」と決められていました。毎日、自分のペースで勉強できないのがとても息苦しくて。

 ついに、中2の途中で退学して、沖縄に戻ることを決めました。両親ははじめ少しだけ反対しましたが、理解してくれました。そこで、沖縄では難関といわれる中高一貫校に編入することにしたんです。

思いきり羽を伸ばした中高時代。待っていたのは、3浪生活!

――編入試験を受けたのですね。

 そうです。編入するには、今いる学校を退学して編入試験を受けなければいけません。「試験に落ちたから戻ります」ということは許されない。退路を断って、試験に向けて必死に勉強しました。

――無事に編入できて、残りの中学、高校生活はどうでしたか?

 のびのび、自由に楽しみました! それまでは禁止だったゲームもさんざんやったし、サッカーにも夢中になりました。はじめてケータイを手にしたときは、本当にうれしかったですね。

 高2のころ、友達に誘われて見学に行った塾に通うことにしました。そこで出会った先生が「東大に行け!」と積極的に口にする先生だったんです(笑)。それまで、東大なんてまったく考えたこともありません。「東大?」「え? 自分にも可能性があるの?」と意識をするようになったのは、その先生と出会ったからです。

 それから、東大についていろいろ調べました。受けたい気持ちがどんどん大きくなって……中学受験のときと同じ、「難しいけれど、可能性があるならやってみたい」というあの気持ちです。そして、どこかに「東大を目指せば、だめでも上ランクの学校に入れる!」という思惑もありました。

 ところが、実際は不合格でした。そこから僕は、3浪生活を送ったのです。

――早稲田大学なども受かっていたと聞きました。でも、東大をあきらめなかったのはなぜでしょう。

 ひと言でいうと、東大を目指すことを「やめられなかった」のです。落ちたとき、3回とも自分では原因がはっきりわかっていました。「あの科目から逃げていた」「これをやっていなかった」……ですから、自分の中で“やり切った”感がなくて。

高校時代、友人たちとのショット(提供)
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