大人気クイズ番組「東大王」で、「ミスター難読漢字」としてその名をはせた砂川信哉さん。大学在学中は「SASUKE」に出場するなど、チャレンジ精神旺盛なキャラクターが人気です。でも、中学受験で入学した中学を退学したり、大学受験では3浪を経験したりと、実はなかなかの苦労人。どんなに大変でも、折れずに自分が納得するまで挑戦し続ける、その強さについてお話を聞きました! <※後編「元・東大王、砂川信哉が振り返る学生時代「ミスター東大コンテスト」に出場した“意外な理由”とは?」に続く

MENU 中学2年生の中途で退学。寮生活はヘビーでした 思いきり羽を伸ばした中高時代。待っていたのは、3浪生活! あきらめて「できないまま」でいるのが悔しいんです

中学2年生の中途で退学。寮生活はヘビーでした

――砂川さんは、どんな小学生でしたか?

 学校の休み時間に全速力で校庭に出て、友達とサッカーをするような元気な子どもでした。勉強も、できるのが楽しくて。クラス内ではできるほうだったと思います。

 僕は沖縄県出身なのですが、当時通っていた公立小学校は、中学受験をする人がとても多かったんです。小1から塾に通っている人も多く、僕も小2の終わりから通い始めました。

――小2で塾。早いですね!

 そうですね。でも、まわりがみんな通っていたので「そういうものなんだ」と思っていました。中学受験も、その流れに乗ったイメージです。塾が、中学受験にまつわる情報を提供してくれるんです。学校や、偏差値、試験の日程……。当時は塾の情報がすべてだったので、ほかの学校、それこそ灘や開成などは名前すら知りませんでした。

 中学からパンフレットを取り寄せるうちに、気になる学校を見つけました。県外の学校でしたが、レベルが高く「みんなが受けて“難しい”なら、自分もやってみよう」とチャレンジを決めました。当時の僕の成績は、沖縄県内の中高一貫校ならどこも合格圏内。県外にもっと難しい学校があるなら、目指してみたい。今思えば「高い山があるなら登りたい」、そんな気持ちだったのでしょうね。

 あと、寮生活に憧れもありました。親元を離れて友達だけで暮らすなんて、マンガの主人公みたいで楽しそうですよね。ところが、実際の寮生活はとてもしんどかった。「沖縄に帰りたい」と毎日思っていました。

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三宅智佳
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