それでも親が怒るのは、「私はちゃんと叱っていますよ」っていう周囲へのアピールでしかない。私が東京で子育てしていたら、アピールのために叱っていたと思うんです。
でもこの町では、小さなことで怒らなくてすむんです。息子がスーパーで余計なものを買おうとすると「それいらんやろ?」と、店のおばちゃんが戻してくれる。勝手に店を飛び出すと、止めてくれるお客さんもいる。いろんな人が息子を理解してくれているこの町は、本当にありがたいですね。
「いやだ!」の理由を考える。それが他者へのリスペクト
――豆太くんとのかかわりは変わりましたか?
豆太のことを、深く考えるようになりました。「豆太はなぜこんなことをしたんだろう」「なぜイヤなんだろう」と、夫とよく話します。すべてに理由がないとしても、私たちが考えないと豆太の伝えたかったことは一生伝わらないから。
――豆太くんのためにしてあげたいと思っていることはなんですか?
夫とは「情報を常にアップデートしていこう」と話しています。息子に役立ちそうな記事や本を見つけたらシェアするし、それについて話します。社会の中でこの子はいまどういう立ち位置にいるのかを知っておく必要があるし、どんな選択が可能かも知っておきたい。
調べると、海外には自閉症に特化した教育を行っている学校もあって、そういうところに一時的に親子で留学することもできるかな、と。そのくらいフットワーク軽く、豆太の将来を考えていきたいですね。
親がこの世を去るまでに一人でも多くの味方を
――なぜ豆太くんの発達障害を公表しようと思ったのでしょう。
日々のエッセイをつづるうえで、豆太のことを書かないのは違うんじゃないかと思ったからです。とはいえ、彼が大きくなってこの本を読んで「なんで勝手に書くん?」と思うかもしれない。すごくすごく迷って、本を印刷する直前までめっちゃ悩みました。
でも障害がある子の場合、親がこの世を去るまでに一人でも多くの味方をつくってあげることが大事だと思うんです。そのためにはこういう伝え方も必要なのかな、と考えました。
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