羅列して改めて見ると、いや日本の未来大丈夫かとゾッとするほど圧倒的な自信のなさがうかがえます。これが集団となると、なんとも扱いづらく指導者や上司が困り果てるのも納得できます。
冒頭の豆柴が「ほめられるためにやってるわけじゃねーし」と思ったかどうかはわかりませんが、この若者世代とは逆に意思決定は「自分でしたい」と思っているのは間違いないんです。
同じ「ほめられたくない」の裏には正反対の心理がある。なぜ令和の若者にこんなにも後ろ向きな考えが多くなったのか、気になりますよね。競争社会から平等性・多様性が叫ばれ始めたのが彼らの子ども時代でしょうか。十数年前、ちょうど私が右も左も分からず長男の子育てを始めた頃です。
体罰や虐待に声を上げ、教員の指導の見直しが求められるようになったのもその頃かな。
同時に「叱らない・否定しない子育て」論も多く目にするようになった時期かと思います。
そしてまさにメディアで「自己肯定感」という言葉を盛んに目にするようになったんですよね。
え? どうして自己肯定感の大切さに社会が気づき始めた時期の子どもたちが、こんなに自信ないの?
教育や子育て、子どもを取り巻く環境が改善方向に動き出すって一見恵まれた時期のようにも見えます。しかしそれは、変革の“狭間”期なんですよね。何が正しく有効なやり方かわからないままみんなが手探り状態で、あちこちで「専門家」が微妙に違うことを言ったりする。
叱らない子育てと聞けば悪いことをしても注意もしないとか。自信をつけさせましょうと言われれば失敗させないように先回りしてあげるとか。
早生まれで何かとまわりに遅れがちだった長男はそもそも幼少期の成功体験が少なく、それだけに焦りのあまり何か得意なものを見つけさせてやらねばと習い事ラビリンスに迷い込み、結果、ますます「何をやってもダメだ」と思わせてしまった前科があるので、点と点がつながりすぎて自分で書いていても胃が痛いです……。
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