「天才」の時期があったから、諦められなかった母

ーーご両親や家族に「こうしてほしかった」と思うことはありますか?

沖田:諦めてほしかったです。苦手なことを何時間やっても何日やっても、成果につながらないということを、分かってほしかった。

 私、4歳ぐらいのときは天才って言われていたんですよ。小学校に入る前に「檸檬」とか「醤油」とか、難しい漢字を読むことができたんです。九九もできていたんですね。でも丸暗記で理屈が分かっていなかったので、小1のテストではいきなり0点。母はすごくショックだったようです。

ーー天才の時期があったから、お母さんも諦めきれなかったのかもしれませんね。

沖田:あと、これは学校の先生もなんですけど、「今日はうまくいかなかったね」って言ってほしかったです。

ーー「今日はうまくいかなかったね」ですか?

沖田:「ダメ」っていう言葉を「うまくいかなかった」って言ってほしかった。毎日できないことだらけですけど、たまに「できる日」があるんです。でも、誰にも評価してもらえない。私にとっては、「今日は何も忘れ物しなかった」というのが、すごい「奇跡の日」なんですけど、周りのみんなにとってはそれが当たり前なので。

ーーすごく頑張った「奇跡の日」でも、誰にも褒めてもらえないと。

沖田:すると、すごくやる気がなくなっちゃうんですよね。これだけ頑張っても褒めてもらえないんだったら、いつもの自分でもいいじゃん、みたいな感じに。

ーーそうか。そうですよね。それが何年間も続けば、諦めたくもなりますね。そんなところから、「二次障害(*5)」が生まれてしまうんですね。

沖田:すごく努力していることが全然成果につながらず、評価もされないので、「どれだけ頑張ったらいいのか」ということが、小学生のころはまったく分からなかったんです。

 ただ、うちの母親もすごくかわいそうだったと思います。私を含めて3人子どもがいるんですけど、弟の1人も発達障害なんです。母もそうなんじゃないかと思うところがあります。母は子育てで苦しんでいましたが、話を聞いてくれる人が誰もいなかった。父親でさえ、「母親なんだから、おまえが何とかせえ」って感じで。ママ友だって、理解できないじゃないですか。

 そんなときに、占い師だけは話を聞いてくれたらしいんです。だから、いまだに占い師のところに通っています。大人になってから「もう占いはいい加減にして!」って怒ったら、発端は私のことだったと。それはかなりショックでした。ただ母親自身は結構ポジティブな人なので、「壺(つぼ)を買わないだけ、ましだと思ってよ」なんて言っています。

※『発達障害大全 「脳の個性」について知りたいことすべて』(日経BP)より一部抜粋

【前編】〈「透明なゆりかご」の漫画家が語る子ども時代 「発達障害の私はタヌキの子。人間になりたかった」〉はこちら。

発達障害大全 ― 「脳の個性」について知りたいことすべて

黒坂 真由子

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黒坂真由子
黒坂真由子

編集者・ライター。埼玉県川越市生まれ。中央大学を卒業後、東京学参、中経出版、IBCパブリッシングをへて、フリーランスに。ビジネス、子育て、語学などの書籍を手掛ける傍ら、教育系の記事を執筆。絵本作家せなけいこ氏の編集担当も務める。

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