江の島を遠望して鎌倉に向かう江ノ電202+201の連結車。先頭の202は旧都電170型の車体再生車だった。この編成は後年300型連接車に改造され、1991年まで稼働していた。七里ヶ浜~稲村ケ崎(撮影/諸河久:1964年1月26日)
江の島を遠望して鎌倉に向かう江ノ電202+201の連結車。先頭の202は旧都電170型の車体再生車だった。この編成は後年300型連接車に改造され、1991年まで稼働していた。七里ヶ浜~稲村ケ崎(撮影/諸河久:1964年1月26日)

■江ノ島鎌倉観光で再生された都電
 
 最初のカットが江ノ島鎌倉観光(以下江ノ電)の202+201連結車編成を、沿線の景勝地である七里ヶ浜で撮影した一コマ。先頭の202は旧都電170型(旧王子電軌引継ぎ車)で、3000型への改造時に不要となった旧174の車体を譲り受けたもの。1954年に旧納涼電車からの車体換装が実施され、170型は江ノ電202として再生された。1956年になると、202は二両編成化の試作車として、これも旧都電150型の車体を持つ112と片側運転台・永久連結改造を施工され、竣工後112は201に改番された。後年、この編成は連接車化と大規模な車体改修工事を受け、300型306編成に改番された。

■陸奥(みちのく)の地方鉄道で再起

 日比谷交差点界隈で撮影した目黒車庫の1032が廃車されたのは1965年7月だった。同時に廃車になったのは700型4両、800型1両、1000型2両、1100型1両、1200型1両の計9両だった。1000型では古参の1934年製1027と1032が俎上に上がっていた。

「都電 秋田県の羽後交通に売却!」のニュースを聞いたのは、高三の夏休みだった。続いて、「廃車された1032が西武鉄道所沢工場に入場して客車に改造される」という一報が入った。鉄道友の会の機関紙「RAIL FAN」の取材目的で、所沢工場を訪問したのは、お盆休みの頃だった。作業棟の中で改造工事が始まったばかりの現車を撮影している。

1965年7月に廃車された1032は羽後交通に売却され、客車に改造のため西武鉄道所沢工場に入場した。前灯を撤去して、台枠補強工程に入った作業棟の一コマ。(撮影/諸河久:1965年8月16日)
1965年7月に廃車された1032は羽後交通に売却され、客車に改造のため西武鉄道所沢工場に入場した。前灯を撤去して、台枠補強工程に入った作業棟の一コマ。(撮影/諸河久:1965年8月16日)

 最初のカットが西武所沢工場で改造中の1032。まだ都電色のままで、「1032」の旧番号も鮮やかに残っていた。8月上旬に入場して、車端に自動連結器を増設するための台枠補強工程に入ったところだった。その後、1032は羽後交通横荘線(おうしょうせん)の客車ホハフ6として竣工。1965年9月に所沢工場を出場して、現地に送られている。
 
 次のカットが羽後交通横荘線を訪ね、旧1032であるホハフ6と館合駅の構内で半年ぶりに再会した一コマ。台車は同時に廃車になった1200型(1283)のブリルKB76Bが流用されていた。鉄道線で使用するため都電時代より直径の大きい車輪が使用され、腰高のスタイルとなった。陸奥の片田舎に都落ちした1000型に若干の悲哀を感じたが、朝夕に運転される通勤通学列車の一員として重用されていることを知り、心温まる思いだった。

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あまりに美しい「雪中」の都電車両