壮絶な生い立ちも力に変え、依存症のリカバリーカルチャーを牽引。小説、映画、音楽と新境地をひらく(撮影/東川哲也)
壮絶な生い立ちも力に変え、依存症のリカバリーカルチャーを牽引。小説、映画、音楽と新境地をひらく(撮影/東川哲也)

 2016年、高知東生は大麻と覚醒剤の所持で逮捕された。人生が一変した。保釈後にどう生きていけばいいのか。煩悶する中で、カウンセリングに通い、依存症の回復プログラムを受ける。その過程で初めて、抱えていた苛烈な人生を話せた。今、表現者として、生きづらい人たちの支えになりたいと思う。そのことがまた、高知を救ってもいる。

【写真】東京オーヴァル京王閣で催された「ギャンブル依存症トークショー」に登壇した高知さん

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 誰でも心に「闇」を抱えている。言うに言われぬ怒りや悲しみ、孤独……。出生の秘密に苦しむ人もいる。芸能界で成功した高知東生(たかちのぼる・58)が自らの闇に向き合ったのは2016年6月、大麻と覚醒剤の所持で逮捕されたのがきっかけだった。

「動くな!」と大勢のマトリ(厚生労働省の麻薬取締官)が現場のラブホテルに踏み込み、「終わった」と高知は観念した。初めて薬物に接したのは故郷の高知県から上京して間もない20歳のころだった。羽振りのいい経営者に勧められて薬を使った。その後、俳優業で忙しい間は遠のくが、副業のエステサロンの経営で心労がたまるにつれ、愛人とともに手を出す。もうやめよう、次こそは、と切迫しながらズルズルと使用したのだった。

 高知の身柄は東京湾岸警察署の窓のない独房に移され、35日間も勾留される。

「自分の愚かさ、後悔と罪悪感で胸が張り裂けそうでした。弁護士さんが面会のたびにスポーツ紙を持参して、外は大騒ぎです、叩(たた)かれまくってますよ、とおっしゃる。悪気はないのでしょうが、とても苦しくて……。別の弁護士さんに代わっていただき、元妻(俳優・高島礼子)に離婚届にサインをして送りました。もう迷惑をかけられません。自分なりのけじめでした」と高知は語る。

 保釈後、裁判が結審し、「懲役2年・執行猶予4年」の判決が下った。「猶予期間が終わるまでは一般社会にいても刑務所にいるのと同じ。ふつうに暮らしちゃいけない。謹慎しなくては」と東京都狛江市の古びた寮の一室にこもる。そこは友人が宛(あて)がってくれた隠れ家だった。世間の記憶が薄れるまで身を隠そう、とびくびくオドオド娑婆(しゃば)への第一歩をしるす。そのまま日陰者の生活を送っていたら、はたしてどうなっていただろう。

■何をして生きていくのか 保釈後に極度の人間不信に

 国は社会防衛のために薬物使用を厳しく罰する。が、しかし、薬物で過ちを犯した人の再起には「更生」だけでなく、もう一つ重要な対応が求められる。それは「依存症からの回復」である。高知は薬物依存症だとは自覚していなかった。

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