哲学者 内田樹
哲学者 内田樹

 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

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 北九州で「抱樸(ほうぼく)」というホームレス支援活動をしている奥田知志牧師が、ミュージシャンの後藤正文さんと対談している文章を読んだ。

 素敵な対談だった。

 奥田さんはもう30年にわたってホームレスを支援している。でも、食べ物を配っても、住むところを提供しても、仕事を世話しても、訪ねてゆくと一人でぽつんと部屋で座っている人がいる。世の中とつながりを持つ意欲がないのだ。

 ある時点でそういう意欲を根こそぎ奪われてしまったのだ。

 自分なんか生きていても死んでいても、どうでもいい。誰も喜ばないし、誰も悲しまない。だから、奥田さんから差し伸べられる救いの手にも応えようとしない。

 そういう人に対して奥田さんは「外から差し込んでくる光のようなものが必要だ」と言う。「神様でも仏様でも何でもいいんだけども、何かそういう意志みたいなものが『俺はお断りしているんだけども、向こうは、いやいや、いやいや、生きないかんで。生きてほしいんやで』みたいな」かたちで外から働きかけてくることが必要なのだ、と。

 だから奥田さんは彼らに向かって「助けたろか」という言葉を「安売り」する。

「今はええわ」と言われたら、「本当助けたるから、お前ちゃんと言えよ」とその場は去る。そうやって「助けたるのインフレ」を起こして、「助けて」と言う側の心理的な「ハードルを下げる」。それを見た子どもたちが「ああ、『助けて』って言っていいんだ」と知る。それがたいせつなんだと奥田さんは言う。

 深い信仰と豊かな実践の中からしか出てこない言葉だと思った。奥田さんはここで「原理」より「程度」が大切だと言っている。困窮者に「助けたろか」と一度言うのと百度言うのでは意味が違う。「要らんわ」と一度は断っても、会うたびに言われると心がほどけるということだってある。

 それが「外からの光」だという奥田さんの言葉に私は胸を衝(つ)かれた。「神は程度差のうちに住まう」というような深みのある思想は実践からしか出てこない。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

AERA 2023年5月1-8日合併号

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内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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