(photo 三浦拓さん提供)
(photo 三浦拓さん提供)

 「でも、次に測ると41度を超えていた。失禁もして、これはただ事ではないと思い救急車を呼びました」(拓さん)

 病院に搬送されるころには既に意識がなかった。

 インフルエンザ脳症だった。

 インフルエンザ感染を機に意識障害やけいれんなどを引き起こすものだ。毎年数十~200例程度の報告があり、重症例・死亡例も少なくない。

 48~72時間がヤマと言われたが意識は戻らず、搬送から7日目に医師から「限りなく脳死に近い状態」と告げられた。

 毎日、病床で声をかけ続けた。

「がんばれがんばれ」「くーちゃん負けるな」「戻っておいで」

 だが、さらにその3日後の検査で、くーちゃんは「臨床的な脳死(法に規定される脳死判定を行ったとしたならば脳死とされうる状態)」と診断された。

 拓さんはこう悔やむ。

「もっと早く救急車を呼べば助かったかもしれない。『搬送が早くても結果は変わらなかったと思う』と言ってくれる先生もいます。でも、常に後悔を感じます。わが子を救えなかった。これ以上の後悔はありません」

■「人のためになりたい」

 過去に脳死から回復した例はない。それでも、何か手はないか。奇跡が起きるかもしれない。あらゆるものにすがりたくなったが、担当医は拓さんの目をまっすぐに見据え、言った。

「くーちゃんがお父さん、お母さんより先にこの世からいなくなってしまうのは、もう避けられないことなんです」

 回復の見込みがないと理解したとき、頭をよぎったのは臓器移植のことだった。本人の意思を聞くことはかなわない。それでも、幼いながらに「世界中の人のためになりたい」と話していた彼女の姿が思い浮かんだ。

 その夜、祖父母も交えた家族会議で拓さんは臓器提供について切り出した。そのときは皆が賛成したという。

 家族に臓器提供を検討する意思がある場合、日本臓器移植ネットワークから臓器移植コーディネーターが派遣される。臓器提供の仕組みを丁寧に説明し、家族のケアに当たるのが彼らで、移植へ誘導するものではない。説明を聞き、当初は賛成していた妻と両家の母は反対に転じた。心臓が動いているのに死を認め、それを取り出すことがやはり受け入れられなかったという。

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