排外主義的な団体が川崎市で計画したデモ。10メートルほど進んだが、反対する市民らが取り囲んで中止になった/2016年6月5日(写真:Richard A. De Guzman/アフロ)
排外主義的な団体が川崎市で計画したデモ。10メートルほど進んだが、反対する市民らが取り囲んで中止になった/2016年6月5日(写真:Richard A. De Guzman/アフロ)

 マジョリティー側の立ち位置から、真剣に怒っている人をあざ笑ったり、揶揄するSNSの投稿に「いいね」をしたりする風潮が見られる。なぜ、そんな嘲笑する社会になったのか。変えることはできるのか。関係者に話を聞いた。AERA 2022年11月7日号の記事を紹介する。

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 作家の雨宮処凛さんは、「失われた30年」の経済の停滞や「頑張っても報われない」閉塞(へいそく)感のなか、ガス抜きの対象を求めているのではと考える。

「失敗して傷つかないよう何もせず、何かをしている人を上から目線であざ笑うというスタンスが最も安全。沖縄の人たちを笑って踏みにじることで、時の政治や権力者と一体化して自分が偉くなったような万能感や錯覚も得られる。生活保護バッシングにも共通しますが、無料の娯楽としてコスパもいい。怠けて楽をしている奴に俺様が鉄槌(てっつい)を下す、という正義感も満たせる。本人は世直ししてるくらいの気持ちかも。だからこそ、依存症的にもなっていく」

「批判する」という行為自体を忌避する傾向が、とくに若者にあるのではとも指摘する。

「若い世代はとにかく傷つきたくないという思いのなかで、非常に優しい、気を使ったコミュニケーションをとっていると感じます。『怒っている人』に対する忌避感が強く、国会で野党が激しく政権批判をすることもハラスメントっぽく見える。批判するよりあざ笑うほうがスマートだし、自分たちに合ってるということかもしれません」

 ただし、その行為は実害へと進む可能性も高いと見る。

「誰かを嘲笑するツイートに『いいね』を押す人に、さほど悪意はないかもしれません。でも、嘲笑とヘイトクライムは地続き。あざ笑っている時点で、対象はすでに暴力にさらされています。在日コリアンが多く暮らす京都のウトロ地区への放火事件など、何かを嘲笑することが、対象になった人へのヘイトクライムの入り口になることは知っておかないと、自分がものすごく恐ろしいことに加担したと気づいてからでは遅いです」

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小長光哲郎

小長光哲郎

ライター/AERA編集部 1966年、福岡県北九州市生まれ。月刊誌などの編集者を経て、2019年よりAERA編集部

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