材料を煮出して染色液を作り、糸を染める作業もすべて自ら行う(撮影/楠本涼)
材料を煮出して染色液を作り、糸を染める作業もすべて自ら行う(撮影/楠本涼)

■父が旅先で心筋梗塞 生前の引き継ぎはなかった

 その後も幸雄は研究と、東大寺・薬師寺・石清水八幡宮など古い寺社へ造花や復元した幡(ばん)、装束を奉納することに情熱を注ぎ続けた。彼の仕事は日本のみならず世界からも高い評価を受け、美術館や博物館に収蔵されている。京都府文化功労賞、菊池寛賞、日本放送協会(NHK)放送文化賞など、受賞歴も多い。

 幸雄の取材を重ねるうちに私の頭には一つの疑問が浮かんできた。これほど貴重な仕事を一体誰が継いでくれるのか。吉岡家には3人の娘がいる。だが、これほど多彩な活躍をする人の後継者にかかる負担は少なくないはずである。この10年は三女の更紗の姿が少しずつメディアでも目につくようになっていた。

「父は『いつ更紗さんが継がれるんですか?』と聞かれると『俺が死んだらや』と答えてました」

 それが現実になる日が来た。19年9月30日死去。旅先での心筋梗塞である。生前の引き継ぎは一切なく、更紗の肩に社長業が一気にのしかかってきた。10名足らずの工房でも経営は経営である。幸雄と家業を継ぐ前からの仕事仲間で、大の親友だったライトパブリシティ社長の杉山恒太郎(73)は、吉岡家とは家族ぐるみのつきあいだった。急逝の知らせを受け工房に駆けつけた。

「ご遺体に対面し、奥さんから『長い間お世話になりました』と言われた途端に何かが崩壊して、肩は震え涙が止まらなくなりました。号泣していたら後ろから更紗に『恒太郎さん、泣きすぎ!』って叱られちゃった。小さい頃から知ってる彼女に叱咤されるなんて口惜しくて(笑)」(杉山)

 その時の更紗には、葬儀の段取り以外にも考えることがたくさんありすぎた。父がやり残した仕事を滞りなく納められるか、頼まれていた講演はどうするか。今後の売り上げは立つのか。従業員を養っていけるのか。冷静にならざるを得ない。

 更紗の祖父・吉岡常雄の代から工房で働く筆頭染師の福田伝士(73)が話す。

「三姉妹は小さい頃から工房に出入りしてましたね。みんなチビやから工房に来ても誰が誰やらわからへん。実は僕、誰も跡を取らないと思ってたんです。このまま『よしおか』も終わりとちゃうかなって。だけどお寺さんの仕事はどうしてもあるんやから、僕がその仕事だけでも続けていかなならんかもと覚悟してました。更紗が『継ぐ』と言うてくれて安心しましたよ」(福田)

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