次の写真が個性的な風貌を持つ323型で、西鉄北方線といえばこの電車の存在を避けて通れない。321型の増備として1956年に323、324の2両を東洋工機が製造。上辺がすぼんだタマゴ形断面の車体形状で、自重12トンの全金属軽量車体だった。台車はブリル76E系の中古だが、木造四輪単車全廃後は北方線の名物電車となった。
このうちの324が、北方線廃止から半年後の1981年7月に土佐電鉄(現とさでん交通)に譲渡され、土佐電鉄の301になった。西鉄時代からのツーメン仕様のまま、予備役として団体貸切用などに充当された。301がマスメディアの脚光を浴びたのは、1985年8月に路面電車としては初めての「カラオケ電車」に就役したからだ。
最後のカットが斬新な外装を施された土佐電鉄301カラオケ電車。西鉄時代の末期に正面窓をHゴム固定支持にするなどの改装を受けており、顔の印象が原形と異なっている。301は20年ほど稼働したが、エアコンの未装備が仇となり、冷房付き2代目貸切電車607と交代し、2007年に退役している。引退後、同車を九州の同好者団体が買い戻し、JR筑豊線沿線で保存されていた。その後、西鉄が経営する福岡市の「香椎花園」に展示保存されたが、2021年に同園が閉鎖されたため、直近の消息はつかんでいない。
■撮影:1968年3月15日
※AERAオンライン限定記事
諸河久
諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍『路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情』(天夢人)が絶賛発売中。
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諸河久
諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍『路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情』(天夢人)が絶賛発売中。