フランスの小学校の様子。教師の教育の自由が重視されているため、同じ学年でも担任の先生の方針によって林間学校に参加するクラスとそうでないクラスが出ることも(photo gettyimages)
フランスの小学校の様子。教師の教育の自由が重視されているため、同じ学年でも担任の先生の方針によって林間学校に参加するクラスとそうでないクラスが出ることも(photo gettyimages)

 小学生の子どもとフランスから帰国した筆者が、日本の学校とフランスの学校での教育の違いについて専門家に聞いた。AERA 2022年4月4日号の記事を紹介する。


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 「友だちからの注意も聞き入れる」日本と、「友だちからの注意と先生からの注意は同等ではない」フランス。このように日仏では児童・生徒間、あるいは先生と生徒の関係が若干違うと感じるが、それは一体なぜなのか。モヤモヤを専門家にぶつけてみた。


 教育学の専門家でリュミエール・リヨン第2大学教育科学名誉教授のフィリップ・メリユー氏(72)はまず、仏の教育現場には「縦の線」を重視する伝統と歴史があると指摘。これを「垂直性」と「平行性」という言葉で説明し、仏では縦の線、つまり垂直性を重視する教育が基盤だという。先生という権威的な存在があり、生徒たちは先生の話を聞き、それに従う。これが従来の仏の教育の基本形というわけだ。このような基本形が確立した19世紀には先生と生徒以外の、例えば児童・生徒間のコミュニケーションは「邪魔なもの」と捉えられていたという。


 平行性、つまりグループや全体の均衡にはあまり重点を置かない仏だが、それはクラスのあり方にも表れている。メリユー氏は、仏のクラスは単なる「集合体」であって「グループ」ではないという。何かしらのアイデンティティーを持つ「グループ」ではなく、あくまで個人が集まった集合体にすぎないというのだ。


 筆者も仏の現地校に通った経験を持つが、そこではクラス対抗のイベントがあるわけでもなく、クラス単位での目標も定めない。アイデンティティー形成をわざと避けるというわけではないが、特に積極的に目指すことではない。


 ところが日本の学校のクラスというのはアイデンティティーを持った集団を形成することを目指す。こうして団結力や協調性を育む努力がなされる一方、集団に重点を置くとその過程ではじき出されてしまう子どもが出たり、いじめのような問題が深刻化しやすくなったりするのかもしれない。

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