炎天の路面軌道を終着電鉄兵庫駅に向かう山陽電鉄の特急電車。山陽電鉄は1948年に電車線電圧を600Vから1500Vに昇圧している。長田~電鉄兵庫(撮影/諸河久:1964年8月4日)
炎天の路面軌道を終着電鉄兵庫駅に向かう山陽電鉄の特急電車。山陽電鉄は1948年に電車線電圧を600Vから1500Vに昇圧している。長田~電鉄兵庫(撮影/諸河久:1964年8月4日)

 写真は長田駅を発車して電鉄兵庫駅に向かう山陽電鉄の特急電車。画面左奥の木造駅舎が長田駅で、下りホームには電鉄明石(現在は山陽明石に改称)方面に向かう820系電車が写っている。画面右先の電鉄兵庫方面交差点には神戸市電尻池線とのダイヤモンドクロスがあり、電車線電圧1500Vと600Vの異電圧が交差するデッドセクションの通過シーンはファン垂涎の見どころだった。

 特急(特急料金不要)に充当された2000系(2014編成)は1962年に登場した3扉仕様のステンレスカーで、当時の最新車だった。ステンレス無塗装車体の窓下と裾に巻かれた細い赤帯が印象に残る。

 最後のカットが電鉄兵庫駅を発車して電鉄姫路(現在は山陽姫路に改称)に向かう特急電車。この2006編成は同じ2000系でも普通鋼で製造され、山陽電鉄標準塗装のクリームとブルーの外観だった。駅に隣接した交差点には交通信号もなく、日傘を差した婦人が軌道敷内で電車の通過を待つ、長閑な光景が記録されていた。画面の背後が5線4面のホームを持つ電鉄兵庫駅で、山陽電鉄の起点とはいえ、神戸市の中心部を外れたマイナーなターミナルだった。

特急とはいえ時速35キロの制限速度で併用軌道を走る電鉄姫路行特急電車。路上にはマツダT1500型三輪車やダイハツハイゼット軽自動車が見える。電鉄兵庫~長田(撮影/諸河久:1964年8月2日)
特急とはいえ時速35キロの制限速度で併用軌道を走る電鉄姫路行特急電車。路上にはマツダT1500型三輪車やダイハツハイゼット軽自動車が見える。電鉄兵庫~長田(撮影/諸河久:1964年8月2日)

 山陽電鉄の歴史は、前述の兵庫電気軌道が兵庫~須磨5900mを開通させた1910年に始まる。軌間1435mm、電車線電圧600Vで、軌道法に準拠して敷設された。後年神戸姫路電気鉄道を併合した宇治川電気と合併し、1933年に山陽電気鉄道となった。

 1968年、神戸高速鉄道東西線(阪急三宮・阪神元町~高速神戸~西代)の開業にともなって、4月6日限りで電鉄兵庫~西代が廃止され、開業以来続いた併用軌道の運行が終了した。ちなみに、当時は電鉄兵庫~電鉄明石が軌道法に準拠しており、専用軌道区間の西代~電鉄明石は1977年に地方鉄道に変更された。

■撮影:1981年12月8日

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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