陸上アスリート 中西麻耶(撮影/写真部・松永卓也)
陸上アスリート 中西麻耶(撮影/写真部・松永卓也)
AERA 2021年8月24日売り表紙に中西麻耶さんが登場
AERA 2021年8月24日売り表紙に中西麻耶さんが登場

 走り幅跳び(片下腿義足)世界女王で、パラアスリートとして活躍する中西麻耶さんがAERAに登場。パラリンピック東京大会を控えた中村さんが、過酷だった選手人生を振り返る。AERA 2021年8月30日号から。

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 走り幅跳び(片下腿義足)の世界女王として自国開催のパラリンピックを迎える。

「目標達成のためならどんな努力もするし、がむしゃらに向かっていくパワーは誰にも負けない自信がある」

 言葉通り、自ら道を切り開いてきた。

 義足で走り始めてたった2カ月で当時の日本記録を更新した。でも、掛けられる言葉は「おめでとう」ではなく、「女子は競技人口が少ないからね」という皮肉。「喜びたいのに喜べなかった」

 パラリンピック初出場の北京大会で世界の強豪選手との差を感じ、つてもないが陸上大国・米国に渡った。遠征費が足りず、世界選手権の出場を辞退し、車中泊をしながらトレーニングを続けたことも。消費者金融にも手を出した。セミヌードカレンダーを販売し、資金を集めた。

 障害の部位をさらけ出した写真は、海外では称賛されたが、国内では「障害を売り物にするな」とバッシングを受けた。うつ病と診断され、過呼吸や摂食障害、難聴などに苦しみながら出場した2度目のパラリンピックは、走り幅跳びで8位入賞。現役を引退した。

 大分に帰り、借金返済のために居酒屋の店員や清掃員、警備員などバイトを掛け持ちする日々。半年後、「やっぱり中途半端でやめるのは嫌だ」と競技復帰。当時は出場できなかった健常者の大会に自ら交渉して出場の道を開き、記録を伸ばした。ついに2019年、世界女王になった。

 昨年、コロナ禍でもコーチの指導を受けられるようにと関西に拠点を移した。競技場が使えない期間も河川敷や公園など足元が不安定な場所で練習を続け、義足がよりうまく扱えるようになった。20年9月の日本選手権では自身の持つアジア記録を更新した。

 東京大会の勝負の時は8月28日だ。

「6メートルを跳んで、金メダルを獲る。その最高の瞬間をみんなに見せたい」

(編集部・深澤友紀)

AERA 2021年8月30日号