同書の翻訳者の一人、那須耕介・京都大学大学院教授(53・法哲学)は、従来の「責任」論と、懲罰的な「自己責任」論の違いを指摘する。

「夫としての責任や、会社員としての責任などを選び取ることで、人は自尊心と社会生活を深い部分で支えられる。従来の前向きな意味での責任論です」

 懲罰的な「自己責任」論は、1990年から2000年代の欧米社会で台頭したと説明する。

「各国とも少子高齢化が進んで財政が厳しい中、国民を暮らしやすくするための社会制度の変更にはお金がかかる。そこで一人一人の能力を高めて、暮らしやすさを目指す福祉政策が普及しました。英国の当時のトニー・ブレア政権なら、職業訓練や求人紹介などのサービスを拡充する一方、仕事をえり好みする人たちは、やがてサービスが停止されていきました。たとえば、子どもを抱えてフルタイムでは働けないなどの個人事情は、『自己責任』の名の下で見向きもされませんでした」

 日本社会の非正規労働者や母子家庭への冷ややかなまなざしと似ている。

 小・中学生の話に戻すと、多くの子どもは自分が抱える問題を世の中のせいにできず、困難に直面すると親や友人のせいにしやすいと那須教授は話す。

「しかし、大人しくて責任感が強く、真面目な子どもほど『自己責任の罠』にかかりやすいのではないでしょうか」

■途方に暮れる姿をありのまま見せていい

 同級生のグループにうまくなじめなかった子も、不登校という選択をした子も、「自分が重ねてきた選択の結果だから仕方ない」と考えると、負のスパイラルからは抜け出せないだろう。

「子どもの狭い視野を破るのは大人の仕事ですが、むしろ大人がそれを追認しているのかもしれない」(那須教授)

 事実、別の母親相談員(56)は、息子が小学4年時に一時不登校になった際、「親子そろって『自己責任』の滝壺に落ちました」と明かしてくれた。

「学校の担任からは毎日のように『登校せずに何をしてますか?』と電話があり、『母親の責任ですよ』と責められているような気持ちになりました。子どもの気持ちに寄り添う余裕もなくなり、その手を引っ張って登校を強要しました。夫は息子に『俺は毎日つらい思いをして会社に行っているのに、お前は(学校も行かずに)何をしているんだ』と怒り、実の母親は『お前が子どもを甘やかしている』と私を断罪しました」

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