福島第一原発などでの作業後に白血病を発症した元原発作業員の男性。自分が声を上げることでほかの作業員たちにも補償が広がることを願う(撮影/桐島瞬)
福島第一原発などでの作業後に白血病を発症した元原発作業員の男性。自分が声を上げることでほかの作業員たちにも補償が広がることを願う(撮影/桐島瞬)
元原発作業員の男性が東京電力と九州電力を相手に損害賠償を求めた裁判では支援者が集まった/4月7日、東京地裁(撮影/桐島瞬)
元原発作業員の男性が東京電力と九州電力を相手に損害賠償を求めた裁判では支援者が集まった/4月7日、東京地裁(撮影/桐島瞬)

 あの未曽有の事故のあと、福島第一原発で働き、白血病になった。労災認定は受けたが、被曝が原因なのか証明は難しく、裁判が続く。命をも顧みず力を尽くした作業員たちへの補償を、東電は、この国は、どう考えているのか。AERA 2021年4月26日号の記事を紹介する。

【写真】損害賠償を求めた裁判では支援者が集まった

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 東京地裁前には50人近い支援者が集まっていた。

 白血病を発症した元原発作業員の男性(46)が、原因は被曝労働だとして東京電力と九州電力を相手に損害賠償を求めた裁判。審理は5年目を迎え、4月7日のこの日は第17回の口頭弁論が行われた。

 地元、北九州市の近くにある造船所で鍛冶工として働いていた男性が原発に関わったのは、2011年に起きた福島第一原発事故の直後からだ。

「原発の仕事とつながりがある建設会社を経営する従兄弟から、福島で作業員が足りないので人を集めてくれないかと頼まれました。それまで原発の仕事はしたことがありません。でも、ニュースで被災地の惨状を見ていたので、自分の技術が助けになるならと思い、友人15人を集め、家族の反対も押し切って行くことにしたのです」

 最初に作業をしたのは福島第二原発。タービン建屋内に水が入らないように鉄板で目張りをする水密化工事と原子炉4号機の耐震補強工事を、11年10月から翌年1月まで担当した。男性にはこのときの被曝の記録はないが、そばにいた現場監督の携帯型ポケット線量計(APD)は、ピーピーと警報音を鳴らしていた。

■41度の高熱が10日続いた、このまま死ぬのかと思った

 1月半ばからは九電の玄海原発で定期点検に携わり、2カ月で4.1ミリシーベルトを被曝。その後、福島へ戻り、12年10月から第一原発の作業に入る。

「最初にやったのは4号機のカバーリング工事。放射線量が高いので被曝除けに鉛ベストを着用しないといけないのですが管理がいい加減で、1班40人ぐらいいるのに鉛ベストは20着ほどしかありません。そのせいで着ない時もありました。全面マスクの目張りが剥がれて外から汚染した空気が入ってきても、現場監督は何も言わない。3時間ほどの作業で0.3ミリシーベルト以上の被曝をした日もありました」

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