社員とボランティアが協力しながら缶詰を掘り出していく。暖かくなると、あたりの工場から流れ出た魚が腐り、強烈な悪臭を放った。大量のハエで前が見えなくなることもあったという。1メートル強の地盤沈下が起こっていて、大潮の日の満潮時には道路が大規模に冠水した。

■「牛たん缶」開発に5年

 それでも、8月までに救出可能なほぼすべての缶詰を回収した。掘り出された缶詰は約22万缶。11月には洗浄も終わり、全国各地で販売された。

「たくさんの方からの応援を感じられて、本当に勇気づけられた。そして、何よりうれしかったのは『おいしかったから』とリピートしてくれた方がいたことです。改めて、いいものをつくりたい、おいしいものを届けたいという思いを強くしました」(同)
  
 それから、10年がたった。木の屋石巻水産は13年2月に本社工場を再建し乾燥品の製造を再開、13年6月には内陸部に缶詰工場を新設した。そして16年、木村さんは先代の伯父から社長を引き継いだ。

 現在の売り上げは震災前を上回っている。去年10月にはこれまでになかった商品が話題になった。

黒い紙箱に、金の箔(はく)押しで書かれた「牛たんデミグラスソース煮込み」の文字。缶詰らしからぬ高級感あるパッケージ、缶を開けるとデミグラスソースに包まれたサクサクの牛たんが現れる。

「牛たんは熱が入りすぎるとボソボソした食感でおいしくない。加熱や煮込みの行程を細かく分けて温度設定に細心の注意を払います。これだと思えるまでに、5年かかりました」

 現場からの声でGOサインを出したものの、木村さん自身うまくいくかは半信半疑だった。だが、苦心の末に売り出した商品は月間8千缶を売るヒットとなった。

■10年は1日1日の積み重ね

 1957年創業の同社は、社名の通り水産品の加工を専門としてきた。クジラ肉、さば、エンガワ……。石巻産のブランドさば「金華さば」の一級品だけを使うさば缶は、「保存食」の意味合いが強かった缶詰の定義を変えたとまで言われた。2017年、『マツコの知らない世界』(TBS系列)で「さば缶」が特集された際にはそのトリを飾り、マツコ・デラックスが絶賛。1年分の在庫の3分の2が瞬く間に売れたこともある。

 朝に水揚げされた旬の魚介を、その日の昼には缶詰にする――。さば缶をつくるのは1年で3カ月、サンマ缶はわずか1カ月。素材へのこだわりが「木の屋」だった。

一方、畜産ものはこれまで何度か手を出してきたものの、「どれもパッとしなかった」(木村社長)。それでも開発に踏み切ったのは強い危機感からだ。

「このところ、あらゆる魚種で不漁が続いています。去年は発売以来初めて、サンマ缶を1日もつくれなかった。魚だけではダメだという思いは社員誰もが持っています」

 畜産品は素材の供給が安定しており、時期を選ばず作れるメリットがある。海産物だけでは生き残れない。「とにかくおいしいものをつくり続けたい」。木村さんはそう語る。その思いが震災からの日々を支えてきた。

 今年2月13日にあった福島県沖の地震では、石巻でも最大震度6弱を記録、缶詰の在庫が崩れ、一部は出荷不能になる被害があった。だが、あの震災と比べれば、「被害のうちには入らない」という。

「10年は、1日1日の積み重ねでしかありません。それでも、こうして全国の人が思い出してくれるのはありがたい。これからも、支えてくれた方に恥ずかしくないものを作り続けていきます」

(編集部・川口 穣)

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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