ただ、学術研究の分野では、孫氏は「15年の時点で大きなブレークスルーがあった」と指摘する。米ワシントン大のスティーブン・セイツ教授らのグループが、米著名俳優、トム・ハンクスさんの膨大な数の画像から長時間かけて平均的な表情を合成した3D画像を作成し、この画像を使ってハンクスさんの自由な表情を表現した映像の作成に成功したという。

 その後も17年にかけて、様々な専門家グループによって研究が進展したことにより、作成時間の短縮や、より見分けがつかないリアルな映像の作成も可能となった。

■映像制作のコスト削減

 ディープフェイクは、俳優をスタジオなどで撮影して映像を作らなくても済むようにすることが当初の主目的だった。性的な悪用事例が目立つが、実際に映像制作を容易にする目的でも活用は進んでいる。

 昨年4月、マラリアの生存者で作る団体がマラリア撲滅を訴えるために公開したキャンペーン動画では、ディープフェイクで作成された英国の元サッカー選手、デビッド・ベッカムさんが9カ国語でマラリア撲滅を呼びかけている。

 動画は英国のスタートアップ企業、Synthesia(シンセシア)が作成したもので、同社の共同創業者のラスムッセン氏は「セットを用意するなど従来の動画の作成方法に比べて、10倍の動画を10分の1のコストで作成できるようになる」と、ディープフェイクを正しく活用した場合の有用性を強調している。

 今後も、ディープフェイクの発展には期待が集まっている。現在は数千枚レベルで様々な表情や向きの画像が元データとして必要だが、1枚の元画像だけで、ディープフェイクの映像を合成できないかの研究が進んでいるという。表情が一つしかないモナリザの絵画を元に様々な表情を浮かべる動画もすでに作成された。

 孫氏はさらに研究が進んで実際に1枚の画像で動画を作成できるツールが普及するまで、「早くて1、2年ではないか。一度、テクノロジーを確立できればツール化するのは難しくない」との見方を示している。

研究者や開発者が中立の立場でディープフェイクを便利にすればするほど、悪用の危険性も増してしまうことは否定できない。1枚の元画像だけでなりすましの動画が簡単に作成されるようになってしまえば、ネット上のすべての動画を信用できなくなる日が来る可能性もある。(ライター・平土令)

AERA 2020年10月26日号より抜粋