影響を受けた監督は数多く、なかでもポール・トーマス・アンダーソンが好きだという。

「私は常に『この人物の最悪の状態はなにか?』を考えて物語をつくる傾向があります。普段の自分は残忍な人間ではないと思いますが、優れた映画やストーリーは、必ず登場人物が最悪の状態に立つことで生まれるのです」

 では監督にとって、もっとも最悪なことは何だろう?

「うーん、両親が亡くなることかな。まだ二人とも元気だけれど、いつかは必ず経験すること。でも心の準備ができていないし、考えたくない。子どもはいないので、その心配はしなくていいけどね」

◎「おもかげ」
10年前にいなくなった息子のおもかげを宿す少年と出会ったエレナだが──。10月23日から全国順次公開

■もう1本おすすめDVD 「ラブレス」

 我が子が突然、いなくなる。親にとってこれほど恐ろしい悪夢はないだろう。ロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督による「ラブレス」(2017年)も、そんな悲劇を発端にした物語だ。「おもかげ」とはまた違った視点による「ひな型からの逸脱」が、観る人の心に深い爪痕を残す。

 現代のロシア。一流企業で働く夫とサロン経営者の妻はいわゆるパワーカップル。しかし夫婦の間は冷え切り、二人は離婚に向けて話し合っていた。問題は12歳の息子アレクセイ。それぞれに新しい恋人がいる二人は、どちらも息子を引き取りたくないのだ。ある夜、夫婦は息子を押し付け合って口論をする。翌朝、息子の姿は消えていた──。

 なんと寒々と、いてついた物語だろう! 両親の口論を聞きながら、自室で耳をふさぐ少年の姿が痛々しい。夫婦はいなくなった息子を捜し回るが、もう遅い。息子の不在は身勝手な夫婦の心に永遠に消えない贖罪(しょくざい)の印を刻む。

 だが、この夫婦は特別だろうか? 周囲を見回せば、我が子を前にスマホにかかりっきりな親の姿がある。監督は自分ファーストで他者を愛せない「愛なき現代」を、痛切に切り取り、提示している。

◎「ラブレス」
発売元:ニューセレクト
販売元:アルバトロス
価格3800円+税/DVD発売中

(フリーランス記者・中村千晶)

AERA 2020年10月19日号