

元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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アエラによればコロナで地方移住の機運があるそうで、これで過去どうやっても止められなかった東京一極集中にブレーキがかかるとすれば実に画期的なことだ。
それはさておき。
私自身のことを言えば、今は諸般の事情で東京に住んでいるものの、会社員時代はほぼ地方勤務で、元々東京にこだわりがあるわけではない。なので事情が変われば外国も含めどこで暮らしてもいいやというタイプである。
でもですね、実は皆様とは逆に、この度のコロナ禍で、私はちょっと東京という場所を見直したのであった。
確かに今も感染者(正確にはPCR検査陽性者)は日々増え続け、先が全く見えない。そしてこの数カ月間、我らは揺れに揺れた。政府に怒り他人を敵視し批判し自ら警察まがいの取り締まりにまで乗り出し、我先にと物資を買い漁った。私もその渦中に多かれ少なかれ巻き込まれ、間違いも犯したし、人間不信にも陥った。
でもその怒涛の時を経て、今の東京の人は、良い意味で「ゆるさ」を身につけたように思うのである。
確かにどこに行っても「今日は○人出たらしいよ」という会話は挨拶代わり。でもみんな、いちいち大騒ぎしなくなった。気が緩んでいるわけじゃない。身近な人も、仕事先でたまたま感染者が発覚し検査を受けていたりする。どんなに気をつけても感染する時はするのだ。他人事ではないし、自分は自分でできることをするしかない。それに人には皆事情がある。「できること」は人によって差があるのだ。正解がどこにあるかなんて誰もわからない。そんな不確かな現実に耐え、日々をなるべく平常心で生きよう。そんな空気を感じるようになった。それは「優しさ」と呼んでもいい気がしている。
そうなったのは、今や東京人が全国的に嫌われているということにも一因があろう。我らはしばらくは籠の中で助け合って生きていくしかない。そう、他人を排除せず助け合う。そんな感情が今の東京には確かにある。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2020年8月24日号