哲学者 内田樹
哲学者 内田樹
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※写真はイメージ(gettyimages)
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

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 コロナの影響で、東京のオフィスビルの空室率が上昇しているという記事を読んだ。当然だと思う。テレワークが普及してくれば、家賃の高い都心部に大きなオフィスを構える必要はない。もう満員電車での通勤も、全員が一堂に会する会議も、書類へのハンコ捺しも必要ないことがわかった。週に1、2度の出社で済むなら、海が見えたり、山懐深くであったり、温泉が湧いていたり、住環境が快適なところに人は移るだろう。これから房総や信州や伊豆への人口移動が始まっても私は驚かない。

 今回のパンデミックで都市は感染症に弱いということがよくわかった。狭い空間に人が密集し、斉一的な行動を取る場所は感染症の温床である。だから、最初の感染爆発はクルーズ船で起きた。

 感染症を物理的に防ぐ方法は一つしかない。感染経路の遮断である。マスク着用も、手指消毒も、ソーシャル・ディスタンシングも、都市封鎖も、程度の差はあれ、感染経路を物理的に遮断するという原理においては変わらない。「他の個体と離れて、違う生き方をして暮らす」ことがこと感染症については最も安全なのである。

 1665年にロンドンをペストが襲った。疫病は18カ月続き、市民の4分の1が死んだ。その時生き残ったのは、感染初期にロンドンを逃げ出した貴族や金持ち。彼らは田舎に住む家があり、生きる手立てがあった。はやばやと大量の食糧を買い込んで、扉を閉ざして家に閉じこもった者たちも生き延びた。ゆくあてがないのでやむなく市内に残り、食べるために生業を続けざるを得なかった市民が死んだ。

 疫病が教えるのは、他の個体とふるまい方を変えることが生存戦略上は有利だということである。生物は同一環境内で共生するために、夜行性と昼行性、肉食と草食、樹上生活と地下生活というふうに生態学的ニッチを「ずらす」。そうすることで有限な資源を共有し、環境の激変を生き延びることができると知っているからだ。

 人獣共通感染症はおそらくこれからも数年おきに襲来するだろう。私たちは否応なく「ニッチをずらす」生き方を選択せざるを得ないであろう。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

AERA 2020年8月10日-17日合併号