09年初め、金正日総書記は自身の後継者として金正恩氏を指名した。その際、与正氏は「自分も政治の世界に身を置きたい」と訴えたという。同席した金総書記の実妹、金敬姫(キムギョンヒ)氏は正恩氏の後継に難色を示すと同時に、封建社会の空気が色濃く残る北朝鮮社会で与正氏が政治に参加することに反対した。

 金総書記自身、「雌鳥が泣き叫ぶと家が没落する(女性が出しゃばるとうまくいかない)」という北朝鮮の古いことわざを好むなど、男尊女卑の考えが強かった。自分自身、父、金日成主席の後妻、金聖愛(キムソンエ)氏と政治闘争を繰り広げたこともあり、女性が政治に参加することに抵抗感を持っていたとされる。

 金総書記が11年末に死亡するまで、金与正氏が表舞台に出てくることはなかった。金与正氏が登場した背景には、肉親以外に頼れる人物がほとんどいない金正恩氏の事情がある。金日成主席は生前、金総書記と高英姫氏との結婚を認めず、正恩氏兄妹は金日成主席と面会したこともない。兄妹は金総書記の別荘で育ち、個人的な知人もほとんどいない。金与正氏は生来の積極的な性格もあり、孤独な金正恩氏を助けるために働いてきた。

 与正氏は当初、党宣伝扇動部の副部長に就任。金正恩氏が現地指導を行う際、できるだけ市民と触れ合うように努める「愛民政治」と呼ばれるスタイルの演出を指導した。

 あまりに熱心で、しばしば党内から「他の部署の仕事にまで口出しする」との陰口もきかれたという。18年9月、文大統領の訪朝時、平壌での歓迎式典の演出を取り仕切った際、誤ってレッドカーペットを踏んだ正恩氏の側近、金英哲(キムヨンチョル)党副委員長を排除したこともある。金英哲氏が今、韓国を責め立てる金与正氏を助けているという。金英哲氏は軍出身で、板門店(パンムンジョム)での南北軍事協議の際に韓国側を厳しい言葉で攻撃し、「毒蛇」という異名で恐れられた。10年3月の韓国哨戒艦沈没事件なども企画立案したとされる。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)

AERA 2020年7月6日号より抜粋