2人の息子にとっても滋さんは正直者で真面目で優しく、強い大人であり父親だったという。兄弟げんかの仲裁に食ってかかる息子たちにも、父は微笑みながら話題を変えて語りかけ、常に衝突を回避してくれた。そんな滋さんが、一度だけ激しさを見せたことがあった。

「当時リーダーだった金正日に対し、許せない、ボコボコにしてやりたいと憤った私に、珍しく父が『そんなものでは済まされない』と言ったことがありました。普段みなさまの前で決してそういう言葉や怒りの表情も出さない父はきっと、私たちの何倍も何十倍も怒りながら、姉の救出を最優先して闘ってきたのだろうと思います」(拓也さん)

(編集部・大平誠)

AERA 2020年6月22日号より抜粋