アーティストはそれぞれ驚くほど多様で多彩だ。録音環境もマチマチだし、中にはライブの音源を元にしたようなものもある。これらを一つの言葉にまとめるのは不可能かつ無意味にさえ思える。それほど、ここで聴ける16曲はあまりにもささやかで、あまりにもさりげない。PCやスマホでザッピングするかのように聴かれ消費されていく時代に、そこから零(こぼ)れてしまいがちな音楽の存在こそが本来、日常生活の中で鳴っている「音楽」。いや、実は「音楽」そのものの本質ではないか、ということに気づかされる。

 作品は元々、本とCDをセットにした「ミツザワ通信・増刊号」のCDのみを単独で販売したものだ。「本」の方もミュージシャンやライター、編集者ら様々な境遇の者がそれぞれのタッチで執筆、描いた作品が集められたような冊子で、これらは全てわずか半月で完成させ、あっというまに完売したという。コロナで世間の動き、時代の歩みが変化したことを受け、そこに楔(くさび)を打ち込むかのように制作されたこの自主制作作品は、しかしながら実は何も変わっていないのではないか、とも思えるテーゼも伝えている。そこに紙本があり、メロディーや歌や音が聞こえてくるCDがある。それ自体はコロナがあろうとなかろうと、自粛だの、ステイホームだの、があろうとなかろうと、厳然とそこにあるだけだ。

 そういう意味では、収録曲の一つ「テニスコーツと黄倉未来」による「さべつとキャベツ」の存在が象徴的だ。4月上旬にPVなどで公開され話題を集めた、アブストラクトな曲調の中に強烈な主張が込められた曲だ。アメリカ・ミネアポリスで起きた黒人のジョージ・フロイドさんの殺害事件をめぐって全米で抗議デモがやまない今、これを聴くと強烈なアンチテーゼとなって響く。だが、これも4月にふと産み落とされた曲の一つに過ぎない。日常の中でそうやって“ふと産み落とされた”曲こそが爪痕を残す。

 ここにはドネーション(寄付)という側面は介在しない。クラウドファンディングなどといった呼びかけもない。ただ、2020年4月に鳴らされた、誕生した音楽がここにある。音楽の存在とはそうしたものではないだろうか。
(文/岡村詩野)
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岡村詩野

岡村詩野

岡村詩野(おかむら・しの)/1967年、東京都生まれ。音楽評論家。音楽メディア『TURN』編集長/プロデューサー。「ミュージック・マガジン」「VOGUE NIPPON」など多数のメディアで執筆中。京都精華大学非常勤講師、ラジオ番組「Imaginary Line」(FM京都)パーソナリティー、音楽ライター講座(オトトイの学校)講師も務める

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