しかしその一方で、生まれた時から見えないものへの恐怖や不安と対峙してきた視覚障害者からすれば、目に見えないウイルスはさほど恐怖ではないという声もある。また、そもそも自由に動き回ることができない人にとっては、外出自粛要請もさほど苦にはならない。家に引きこもり、過度に見えない敵におびえる健常者よりも、コロナ禍に順応しているのかもしれない。

 視覚障害を持つ渋谷美紀さん(34)はDIDの職員。緊急事態宣言が発令されて以降は自宅でステイホームの日々、リモートで仕事をしている。Zoomなど音声主体のコミュニケーションの世界では、聴覚に長けた渋谷さんは、水を得た魚のようだ。周囲と「聴覚」という音の世界で、対等につながっている喜びと安心感がある。

「危険が伴う出勤がない状態は、精神的にも楽です。街中で声をかけてくれる人が減ったと感じる人もいるようですが、こんな状況なのに、わざわざマスクを外して接してくださる人もいます。声をかけてくれる頻度が増えたという人もいます」(渋谷さん)

 見えないからこそ、見えるもの。聞こえないからこそ、聞こえるものがある。

 志村さんは、例えば手話はコロナとの共存が求められる時代に、最適なコミュニケーション手段になる可能性があると語る。ソーシャルディスタンスをとっても、マスクをしていても、自由な意思疎通がかなう上、オンライン上では軽々と国境を越え、世界中の人々と会話を楽しむことができるからだ。

「この先の見えない、答えのない社会を生き抜く、新しい生活様式のイノベーションのスイッチは、実は社会の中で、弱いと思われていた人々との対等な他者性の中にあるかもしれません」(志村さん)

 人間には想像力もあれば、創造力もある。コロナ禍という暗闇は人間の根源的な優しさの所在を照らし出している。(編集部・中原一歩)

AERA 2020年6月8日号より抜粋