緊急事態宣言が解除され、かつての「日常」が徐々に戻りつつある。一方で、雇用や教育格差などの社会の歪みは、今後、さらに表面化する可能性もある。AERA 2020年6月8日号では、コロナ禍であぶり出される格差や貧困を取材した。
* * *
板で組み立てた簡易なテーブル。飯が盛られた容器が150個ほど並べられ、バケツに入った汁ものがひしゃくですくわれ次々とぶっかけられていく。
5月22日の午前8時。東京・山谷地区の一角を訪れると、炊き出しが行われていた。路上生活者や「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所に身を寄せる人たちが大勢集まっている。
「距離をとって下さい!」
「マスクがない人はいますか」
順番を待つ人たちに男性が声をかけていた。ただ、これはいつもの風景というわけではない。
「これまで週1で日曜の午後だけやっていたんですけど、4月からは平日も毎日やるようにしたんですよ」
炊き出しを仕切っている山谷労働者福祉会館活動委員会・山谷争議団の向井宏一郎さん(48)は、そう話す。
向井さんによれば、新型コロナウイルスの影響で生活困窮者向けの炊き出しは各地で減った。上野などを含めて山谷の付近であった炊き出しも、3分の1ほどになったという。「密」回避のためと言えばそれまでだが、向井さんは逆に増やした。
「仕事と炊き出しの両方が止まるとどうなるか。何とかしないと命がもたない」(向井さん)
■食べられるだけマシ
15年ほど山谷で路上生活を続けているという男性(75)も話をしてくれた。
九州出身。生活保護は受けず、周辺で寝泊まりする。都の清掃事業に月に何度か参加し、1回7千円ほど稼いでいた。だが、緊急事態宣言が発令された翌4月8日から事業は止まった。「感染拡大防止のため」(都担当者)だった。
男性の仕事は今、空き缶を拾って売るだけだ。キロ単価が90円程度で、コロナ前より数十円下がったという。
「1カ月で手に入る現金は3万程度、あちこちの炊き出しに出向いて何とか食いつないでいる。食べられるだけマシだと思わなきゃいけないのか……」