バンクーバー五輪後も、手術したひざのケガと向き合い続けながら、自分の技術や理想を見いだそうと努力していました。羽生結弦選手など、他の選手に与えた影響も大きい。羽生選手は、ジャンプも演技もバランス良く身に付けていった。高橋選手もジャンプ技術を磨き続けた。良い形で刺激し合い、2人とも成長したと思います。

 類いまれなる表現力は、世界でも注目されていました。新採点システムになってから、しっかりとしたエッジワークでステップを踏まないとレベルをとりこぼすため、リズムの取りやすい曲やゆったりとした曲で、大げさにエッジを見せるというのが主流になった時期がありました。しかし高橋選手は、あえてヒップホップやマンボなどテンポが速く難しいプログラムを演じ、スケート界に新しい風を吹き込んでくれた。その影響力は大きく、彼をオマージュするプログラムを作る海外のスケーターも多くいました。

■スケートをやるために

 18年に現役復帰を宣言したときには、アーティスト気質な高橋選手の、アスリートとしての顔を見た気がしました。

 そしてアイスダンスへの転向。やはり彼は、スケートが好きなんですね。彼がアイスダンスに挑戦し、スケートのあらゆる可能性にエネルギーを注ぎ続けてくれるのは嬉しいことです。彼が活躍することは、日本でダンス競技を注目してもらうきっかけにもなります。

 高橋選手は本当に高い能力を持ちながらも、応援する人たちをドキドキさせる危うさもあり、苦難をどう乗り越えるのかという生き様を見せてくれる。徐々に力を出して成長していく姿は、「頑張れば成長できるんだ」という希望や喜びを与えてくれます。それに加えて、持ち前のセンスがある演技で人を惹き付ける。

 まさにスケートをやるために生まれてきたような人で、ずっと見ていたいと思えるスケーターです。その感性を、新たな環境で発揮し続けてほしいです。

◯あらかわ・しずか/1981年、東京都生まれ。2006年、トリノ五輪フィギュアスケート女子シングルで金メダル獲得。同年、プロ転向。プロスケーター、キャスターなど多方面で活躍中

(聞き手/ライター・野口美恵)

※『アエラ増刊 高橋大輔 挑戦者の軌跡』より抜粋