鴻上:僕たちが優馬くらいの年の頃は、先輩は怒るものだし、叱られるところから入る、というのが当たり前だったけれど、いまはもうそんな時代じゃない。ちゃんと言葉で説明しなければいけない時代であり、演劇もコンプライアンスの時代です(笑)。だからキャッチボールをできるようにするのが演出家の仕事かなと思いますね。

中山:鴻上さんは、演者と同じ目線でディレクションしてくださる。「こういうときの言葉って、君たちの世代だとなんて言うの?」と聞かれることもあって、そうしたやり取りを経て台詞が変わることもあります。「なるほど、そっちの言葉のほうがいいかもしれない、それでやってみよう!」とすごく柔軟に変わっていく。

──演出家と主演俳優は、どちらがいなくても成立しないという意味で、特別な関係ですね。

鴻上:舞台の演出家と主演俳優の関係は、映画監督と主演俳優の関係とは違うと思いますね。映画ってやっぱり監督のものなんです。言い方は悪いですが、素材を編集して作品にするのが映画監督なので。でも舞台の演出家は俳優に、自分が生み出した作品を“うまく渡していく”のが仕事であり、そこが一番考えるところでもある。だって、本番が始まってから僕ができることは客席の一番後ろで俳優のスベったギャグに対して大笑いすることと、祈ること。それしかできない。

中山:前回の舞台でも、鴻上さんの笑い声が一番大きく響いていたことがありました。

鴻上:あまりにも見事なスベり方をしたからね(笑)。本番が始まったらその場からいなくなる演出家もいるけれど、自分の作品なので、僕はその場にいるようにしています。そうやって、笑い声だけでも参加できる瞬間があると、自分も一緒に過ごしている、と感じることができる。

中山:ほかの演出家さんがどうだ、という話ではなく、最後まで責任を分け合うことができているような気がして心強いです。

鴻上:いまの「ほかの演出家さんがどうだ、という話ではなく」って言葉、すごく大事なんですよね。こうした言葉を言える俳優と言えない俳優ではやはり違う。じつに大事なこと。優馬の偉いところだと思いますね。ちゃんとまわりに気を使える俳優は、演技においても周囲に目配りができる。こういう感情があれば、こういう感情もある、ということに気づくことができるから。

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