もうひとつ興味深いのは、Crisper-Cas9システムの存在に、一番最初に気づいたのは日本人研究者だった、ということ。30年ほど前、阪大にいた石野良純らによる発見だった(現在は九大)。細菌の遺伝子DNAに不思議な反復配列があることに気づいたのだ。しかし当時、誰もその意味や意義を推察することはできなかった。それでもあとに続いた幾多の科学者たちはちゃんとこの論文を引用し続けた。最初に井戸を掘った人へのリスペクトを忘れなかったのだ。科学の美風である。

 これは2002年に質量分析の先駆者としてノーベル賞を受賞した田中耕一のケースに似ている。彼の名がノーベル賞委員会によって発表されたとき、主要メディアはどこもマークしておらず、完全なるダークホースだった。実際、田中耕一の最初の発見は極めてマイナーな研究誌に短い報告がなされただけだった。しかし、ちゃんとノーベル委員会は最初のパイオニアを突き止めて評価したわけであり、この点、ノーベル賞は極めて公平であると言える。

 さて今年の風はどちらから吹いてくるだろう。

○福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て現職。著書『生物と無生物のあいだ』はサントリー学芸賞を受賞。『動的平衡』『ナチュラリスト―生命を愛でる人―』『フェルメール 隠された次元』、訳書『ドリトル先生航海記』ほか。

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福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て現職。著書『生物と無生物のあいだ』はサントリー学芸賞を受賞。『動的平衡』『ナチュラリスト―生命を愛でる人―』『フェルメール 隠された次元』、訳書『ドリトル先生航海記』ほか。

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