浜矩子「一人は皆のため・皆は一人のためという三銃士の概念を守り切れるのか」

連載「eyes 浜矩子」

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 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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 多角主義が危機に瀕している。この種の言い方がしばしばメディアに登場するようになっている。そこで改めて思う。多角主義とは、そもそも何か。

 多角主義は、英語の「マルチラテラリズム(multilateralism)」を日本語化した言葉だ。マルチラテラルであることを指向する姿勢を、マルチラテラリズムという。ラテラルは「側面」を意味する。マルチは「多数」の意だ。ただ、単なる多数よりは、むしろ全数に近いニュアンスがある。網羅性を内包する多数だと考えた方がいい。

 この点を踏まえれば、マルチラテラルであるというのは、全ての側面を網羅していること、要は包摂的であることだというイメージになる。これを人間集団に当てはめれば、「全ての人々が集合している」という感じだ。このようにいえそうである。

 つまり、多角主義体制とは、全ての人々が全員集合的によってたかり、総がかりで物事を決めていく体制だ。すなわち「みんなで主義」である。

「みんなで主義」がうまく機能するためには、必要な主義がもう一つある。それは、「一人は皆のため、皆は一人のため」主義にほかならない。ラグビー精神や協同組合の理念としてよく知られているが、元々はフランスの文豪、アレクサンドル・デュマの歴史的冒険小説『三銃士』に登場したことで、世界に響き渡った。

 誰もが「一人で主義」でしか物事を考えられないようでは、「みんなで主義」は成り立たない。「一人で主義」はすなわちユニラテラリズムだ。ユニは「一」を意味する。要は一国主義だ。自分さえ良ければ主義である。

「二人で主義」もいけない。これはバイラテラル。バイは「二」である。自分たちさえ良ければ主義だ。オレとあんたさえ良ければええじゃないかという発想だ。トランプ大統領が大好きなヤツである。世にいう「ウィンウィンの関係」というのも、これと同じだ。自分ら以外の人々は切り捨てている。だから、筆者はこの「ウィンウィン」という考え方が嫌いだ。

 我々は「みんなで主義」を守り抜けるか。それを可能にしてくれるグローバル時代の三銃士はいずこに? 彼らを探し出そう。

AERA 2019年7月22日号

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浜矩子

浜矩子

浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演

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